「小牧・長久手の戦い」の関連史跡めぐり

「小牧・長久手の戦い」の経緯

天正12年(1584年)3月から11月にかけて、徳川家康織田信雄豊臣秀吉の間で勃発した戦いになります。
主な戦い舞台が小牧山と長久手となったため、小牧・長久手の戦いと呼ばれています。

池田恒興による犬山城の占拠

3月13日。大垣城主・池田恒興が犬山城を攻撃、犬山城は落城します。
13日に清洲城に入っていた徳川家康は、15日に小牧山城に移動。犬山城から10キロメートルの小牧山城で守りを固めました。
▶犬山城

羽黒の戦い

3月15日、池田恒興の娘婿・森長可が八幡林に布陣。
徳川家康は、酒井忠次榊原康政奥平信昌らに対峙させます。
17日に酒井忠次は一斉に攻撃を仕掛け、森勢を壊滅状態に追い込みました。
             ▶八幡林古戦場

膠着状態

小牧山城で守りを固めた徳川勢。3月27日には豊臣秀吉も着陣しますが、両軍は砦を築くなどにらみ合いの状態が続きました。

              ▶小牧山城

三河中入り作戦

4月4日、池田恒興と森長可は秀吉に、守備が手薄になっている三河国(家康本拠地)に攻め込むことを進言します。
6日、秀吉は進言を受け入れ、池田恒興、森長可、羽柴秀次らが岡崎城に向かいました。
               ▶岡崎城

岩崎城の戦い

4月9日、岡崎城に向かう池田恒興と森長可は途上にある岩崎城を攻撃。
岩崎城は3時間程で落城していまいます。


                    
               ▶岩崎城

白山林の戦い

岩崎城の戦いが行われている頃、豊臣勢最後尾の羽柴秀次は白山林で休息していました。そこを大須賀康高、榊原康政らの徳川勢が奇襲。
羽柴軍は壊滅し、自身の馬を失った秀次は家来の馬に乗って逃げるという失態をおかします。     ▶白山林古戦場

桧ヶ根の戦い

敗戦を知った堀秀政は、桧ヶ根に陣を構えます。徳川軍は堀軍を攻撃。しかし、返り討ちにされ敗走します。
秀政は、家康が御旗山に金扇の馬印を掲げたのを確認すると、徳川勢の深追いはせずに楽田城に引き上げました。
           ▶桧ヶ根 堀秀政陣跡

長久手の戦い

長久手で徳川・織田勢と池田・森勢が激突。
池田恒興と森長可が期待していた堀軍の加勢はなく、森長可が討死すると、池田軍、森軍が崩れ始めます。
池田恒興、池田元助も討死し、徳川勢は大勝利をおさめました。  ▶長久手古戦場

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡

赤数字:徳川・織田軍関連史跡。青数字:豊臣軍関連史跡、黒数字:合戦地など

「小牧・長久手の戦い」の史跡めぐり(2日間コース)

1日目

1-1:① 犬山城

名古屋駅から車で60分 観覧時間90分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:犬山城
尾張における小牧・長久手の戦いの発端となった犬山城。築城は天文6年(1537)頃、その立地から数々の武将たちが奪い合った城でした。天守は現存する日本最古で現存12天守、また姫路城、松本城、彦根城、松江城と並ぶ国宝5城の1つになります。

1–2:① 八幡林古戦場(羽黒の戦い)

犬山城から車で20分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:八幡林古戦場(羽黒の戦い)
小牧・長久手の戦いはここから始まりました。羽柴方は森長可、徳川方は酒井忠次、榊原康政、奥平信昌らが陣取りました。天正12年(1584)3月17日の夜明けとともに始まり、徳川勢の勝利に終わった八幡林古戦場を紹介しています。

1-3:① 楽田城

八幡林古戦場から車で10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:小松寺山砦
天正12年(1584年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれました。丹羽長重(一説に長秀)、三好秀次(豊臣秀次)が守備したとされます。東西二つの砦があったといわれる小松寺山砦を紹介しています。

1-4:② 内久保砦

楽田城から車で10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:内久保砦
小牧・長久手の合戦時に、秀吉軍の砦として築かれたもので、蜂屋出羽守頼隆・金森長近等を将としました。現在、内久保山西南麓にある三明神社周辺が砦の位置と考えられます。秀吉方の砦の一つ内久保砦を紹介しています。

1-5:③ 小松寺山砦

内久保砦から車で10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:小松寺山砦
天正12年(1584年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれました。丹羽長重(一説に長秀)、三好秀次(豊臣秀次)が守備したとされます。東西二つの砦があったといわれる小松寺山砦を紹介しています。

1-6:④ 久保山砦

小松寺山砦から車で5分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:久保山砦
天正12年(1584年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれました。また秀吉自らが本陣の楽田城からこの砦に来てこの砦で指揮したとも伝えられ、太閤山とも呼ばれています。現在の熊野神社一帯が砦跡の久保山砦を紹介しています。

1-7:⑤ 岩崎山砦

久保山砦から車で10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:岩崎山砦
小牧・長久手の合戦で羽柴方の砦として築かれ、稲葉一鉄・貞通父子が4千の兵で守りました。小牧山城から3㎞に位置し、標高55mの頂からは城が一望でき敵の動きを見張る監視点と考えられます。小牧山城を見張った岩崎山砦をご紹介しています。

1-8:⑥ 田中砦

岩崎山砦から車で10分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:田中砦
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉方の砦として築かれ、規模は東西約30m、南北約36mで、高さ約1.5mの土塁があったそうです。兵数は約1万3千人で守将は堀秀政、蒲生氏郷、加藤光泰が伝えられる田中砦を紹介しています。

1-9:⑦ 二重橋砦

田中砦から車で10分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:二重堀砦
二重堀砦は規模が大きく、その名の通り二重の堀が巡らされていたと推測されます。ここから家康の本陣、小牧山には約2Kmしか離れていないので、夜襲を受け、両軍の小競り合いがあったそうです。日根野備中守弘就が守備した二重堀砦を紹介しています。

1-10:② 小牧山城

二重橋砦から車で10分 観覧時間90分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:小牧山城
小牧山城は歴史上2回のスポットが当たります。1回目は織田信長が永禄6年に美濃攻めの拠点として築城し清洲城から移転した時。2回目は天正12年の小牧・長久手の戦いで、徳川家康がこの地に本陣を置いた時です。歴史上重要な小牧山城を紹介しています。

1-11:③ 蟹清水砦

小牧山城から栗まで10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:蟹清水砦
この地には織田信長が永禄6年(1563年)、丹羽長秀に小牧山に築城を命じた際、長秀が建てたと言われている屋敷がありました。徳川家康はこの屋敷を修復して砦としたとされます。また、江戸時代には尾張徳川家の御殿となった砦を紹介します。

1-12:④ 北外山砦

蟹清水砦から車で10分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:北外山砦
由来は、岩倉織田家の織田与四郎が居城した北外山城になります。その後廃城となり小牧・長久手の戦いの際、修復されて北外山砦となりました。 また、羽黒の戦いの際は本多忠勝ら、 長久手の戦いの際は奥平信昌らが護もった北外山砦を紹介します。

2日目

2-1:⑤ 小幡城

観覧時間5分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:小幡城
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで徳川家康はこの城を修築し、長久手の戦いで池田恒興ら豊臣方の別働隊を破った後、小幡城に入城します。 その後、豊臣方によって焼き払われ廃城となった小幡城について紹介しています。

2-2:② 白山林古戦場

小幡城から車で25分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:白山林古戦場
戦いが膠着状態となると羽柴勢は徳川氏の岡崎城を攻めるべく「三河中入り作戦」を開始。白山林で休息中の三好秀次隊に徳川勢は鉄砲を一斉射撃。不意を突かれた秀次隊は壊滅します。長久手の戦いの引き金となった白山林の戦いの古戦場を紹介しています。

2-3:③ 木下勘解由塚

白山林古戦場から車で10分、観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:木下勘解由塚
秀吉方の岡崎侵攻の総大将の三好秀次(豊臣秀次)が徳川先遣隊の奇襲攻撃を受けて総崩れとなり、馬を失って逃げる途中で家臣の木下勘解由左衛門利匡に出会います。利匡が自分の馬を秀次に譲り、逃がした後に討ち死にした場所の紹介になります。

2-4:⑨ 色金山歴史公園

木下勘解由塚から車で10分 観覧時間60分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:色金山歴史公園
色金山は、小牧・長久手の戦いにおいて、羽柴秀吉方の池田恒興、森長可らの別働隊を追撃してきた徳川家康軍が進軍を止め、軍議を開いたと伝えられる山です。山頂には、家康が腰掛けたとされる巨石「床机石」が今も残る色金山歴史公園をご紹介しています。

2-5:⑥ 長久手古戦場首塚

色金山歴史公園から車で5分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長篠古戦場首塚
小牧・長久手の戦いで勝利した徳川家康は、戦場処理を行なわず小牧山へ引上げた為、戦死した将兵たちは敵味方の区別なく放置されていたといいます。戦死者の供養を目的に岩作村・安昌寺の雲山和尚と地元民が中心となり築かれた首塚を紹介しています。

2-6:⑦ 岩作城

長久手古戦場首塚から車で10分 観覧時間5分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:岩作城
岩作城(やざこじょう)は城と言ってもこの地域の有力者・今井氏の居館周辺に堀と土塁を巡らせたものだったと思われています。小牧・長久手の戦い際、城主の今氏氏は岩崎城の戦いに参戦し戦死します。あまり知られてこなかった岩作城を紹介しています。

2-7:④ 桧ヶ根合戦地

岩作城から車で10分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:桧ヶ根合戦地
「三好信吉(豊臣秀次)が白山林の戦いで総崩れになった」という報を受けた堀秀政隊は引き返し、桧ヶ根に陣を敷いて徳川軍を待ち構えました。徳川軍は返り討ちにされて逆に追撃されてしまいます。秀吉方の勝利に終わった桧ヶ根合戦地を紹介しています。

2-8:⑧ 三将の墓(常照寺)

桧ヶ根合戦地から車で10分 観覧時間20分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:三将の墓(常照寺)
長久手古戦場公園の北西1.2kmに位置する常照寺には天正12年(1584年)の長久手の戦いで戦死した池田恒興、その子息の池田元助、婿の森長可の墓があります。いきさつは不明ですが、3将の墓がある常照寺を紹介しています。

2-9:⑩ 御旗山

三将の墓(常照寺)から車で10分 観覧時間15分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:御旗山
天正12年(1584)4月9日、色金山に兵を進めていた徳川家康に桧ヶ根の戦いでの敗戦の報が入ると、家康はここ御旗山に進軍して頂上に金扇の馬標を立て豊臣方の動きを牽制しました。決戦にのぞむ家康が陣を敷いた御旗山に触れています。

2-10:⑧ 長久手城

御旗山から車で5分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長久手城
最初の築城年代や築城者は不明です。 小牧・長久手の戦いの際、城主の加藤忠景は徳川家康に従って岩崎城の戦いで討死したとされています。この戦いの際、森長可によって焼き討ちにされ、廃城となった長久手城について紹介しています。

2-11:⑦ 血池公園・鎧掛松

長久手城から車で5分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:血池公園・鎧掛け松
長久手合戦後、徳川家康方が血の付いた刀や槍を洗ったといわれる「血の池」と呼ばれていた池があったとされる血の池公園。池で刀や槍を洗う時、将兵たちが鎧(甲冑)をかけたといわれる松について説明しています。

2-12:⑩ 武蔵塚

血池公園・鎧掛松から車で5分 観覧時間10分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:武蔵塚
森長可は池田恒興の娘婿で、小牧・長久手の戦いでは共に羽柴軍として参加していました。岡崎攻撃隊として岡崎に向かっていたところ、徳川家康との決戦になり長久手の戦いで討ち死にします。長可が亡くなった場所といわれる武蔵塚を紹介しています。

2-13:⑤ 長久手古戦場公園 ⑨勝入塚

武蔵塚から車で5分 観覧時間60分

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:勝入塚
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉方の武将・池田恒興が無念の戦死をした場所になります。恒興は、天正10年(1582年)本能寺の変で主君・信長亡き後入道し、勝入齋と名乗りました。塚名はこの法名にちなむものです。長久手古戦場公園内に建立された勝入塚をご紹介しています。

2-14:⑥ 岩崎城

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:岩崎城
岩崎は、尾張、三河を結ぶ街道の要衝で、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは、岩崎城の戦いの舞台になりました。城代丹羽氏重は池田恒興隊を阻止しますが。300余名が討ち死にしました。戦いの舞台となった岩崎城を紹介しています。

「小牧・長久手の戦い」の史跡巡りのご参考になれば幸いです。

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