出来事 や行

八尾・若江の戦い(やおわかえのたたかい)

慶長20年(1615)5月6日、木村重成の6,000の兵と長宗我部盛親ら5,300の兵が河内路から大坂城に向かう徳川本軍12万を迎撃した戦い。
まず、盛親隊が霧の中で藤堂高虎隊5,000と対峙した。この戦いで盛親は堤の上に将兵全員を下馬のうえ伏せさせ、敵が充分に近づいた頃合いを見計らって突撃するという戦法を取った。この勢いで藤堂隊は藤堂高刑、桑名吉成は戦死、藤堂氏勝は致命傷を負い退却中に死亡した。藤堂高吉も来援するが、長宗我部勢に圧倒され、撃退された。
この時点で長宗我部隊は勝利していたが木村隊の敗走により幕府方の井伊直孝の援軍に挟撃されることを恐れ後退した。重成は高虎隊の一部を破った後、井伊直孝隊3,200らと交戦の末に討死した。
藤堂勢および井伊勢はこの戦闘で大きな被害を受け、翌日の天王寺・岡山の戦いの先鋒を辞退せざるをえなくなった。

屋島の戦い(やしまのたたかい)

元暦2(1185)年2月19日に行なわれた讃岐屋島での源平合戦(治承の内乱)。
京都を逃れた平家を追討するため、摂津渡辺から暴風雨をおかして阿波椿浦に渡った源義経は、屋島に布陣する平家を襲いこれを破った。この戦いで平家の内海制圧は破れ、また那須与一の扇を射る話や義経の弓流しの話が生まれた。

山崎の戦い(やまざきのたたかい)

天正10年(1582)中国征討中の羽柴秀吉が本能寺の変を知って毛利氏と和議を結んで引き返し、山城の山崎で明智光秀を破った戦い。秀吉の全国制覇の緒戦となった。

横田河原の戦い(よこたかわらのたたかい)

治承・寿永の乱の中の戦いの一つ。信濃で挙兵した源義仲らの諸源氏に対して平氏方の越後の城助職が攻め込んで発生した戦い。

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