徳川家康 徳川家康16 真田氏の離反、石川数正の出奔、そして秀吉の「家康成敗」へ至る過程 天正壬午の乱の和睦条件により家康が真田氏に沼田領の引き渡しを求めると、天正十三年(1585)真田氏は家康から離反します。同年十一月、宿老石川数正が秀吉のもとに出奔します。秀吉との対立に至る真田氏との関係は?宿老数正出奔の謎を解説しています。 徳川家康
徳川家康 徳川家康17 秀吉への臣従と秀吉の天下統一「惣無事令」とは? 天正13年(1585)徳川家康と豊臣秀吉は対決が避けられない状況でしたが、天正大地震により融和路線に替わり、家康は秀吉に出仕します。家康が秀吉に出仕する過程と豊臣政権における立場と役割、秀吉の惣無事令に基づいた九州征伐ついて触れています。 徳川家康
徳川家康 徳川家康18 「関東・奥惣無事」活動と北条氏への対応(小田原攻めへの過程) 家康の「関東・奥両国惣無事」活動の役割は北条氏に秀吉への従属を促すことでした。北条氏は明確な態度を示めさず、防備を固めます。家康が北条氏に最後通告すると、氏規が上洛し臣従の意を示します。しかし北条氏が真田領の名胡桃城を奪ったことで秀吉は討伐を決意します。小田原征伐に至る秀吉、家康、北条氏の関係と経緯に触れています。 徳川家康
徳川家康 徳川家康19 「関東・奥両国惣無事」活動としての小田原合戦と秀吉の奥州仕置き 「関東・奥両国惣無事(関東・奥州平定)」を進める秀吉は、北条氏への攻撃を決意、小田原城を包囲し降伏させます。そして、関東・奥州の要として家康に関東移封を命じ、奥州仕置きに取り掛かります。小田原合戦から奥州平定に至る過程を解説しています。 徳川家康