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史跡巡りコース

豊臣秀長ゆかりの地を巡る ~奈良県大和郡山市~

秀長が四国征伐を終えると、秀吉から大和国(奈良県)を拝領します。秀長は郡山城を居城に定め死去するまで豊臣政権中枢の仕事、大和・紀伊などの統治を進めていきます。ここでは奈良県大和郡山市にある豊臣秀長ゆかりの史跡を紹介しています。
豊臣秀長

豊臣秀長 権大納言就任と闘病の始まり

秀長は九州征伐後、秀長は権大納言に昇進し豊臣政権の中枢を担います。しかし、多忙な日々を送る秀長は発病し以後病に悩まされるようになっていきます。そのような状況でも秀長は秀吉を支えていきます。豊臣政権の権力構造、秀長の発病について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 九州征伐

豊臣秀吉は命令に従わない島津氏追討のために九州征伐を開始。秀長らが出陣、根城坂の戦いでこの戦いの勝利を決定づけます。島津氏は降伏し薩摩一国を安堵され豊臣政権に服属し、九州の再編が進められます。秀吉・秀長の九州征伐について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 九州征伐に至る過程

天正14年豊臣秀吉は九州の統一に着手します。九州では大友氏・島津氏・竜造寺氏が争い、秀吉は停戦命令と九州分国案で調停を図ります。秀長も交渉しますが、島津氏は従わず豊後へ侵攻。調停が破綻し、秀吉が九州征伐に進んでいく過程について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 徳川家康の上坂・秀長との関係

豊臣秀吉と徳川家康の関係は一時軍事衝突の局面を迎えますが、天正地震の影響等により、秀吉は従属へ方針転換します。ここでも秀長は両者の調停など取次の責務を果たしています。家康の臣従など秀長が豊臣政権で重きを成していく過程について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 秀長の大和支配

豊臣家による畿内再支配の一環として大和国を拝領した秀長。家臣統制、百姓保護、寺社政策などの政策を進めます。また、城下町の整備等の都市政策、「奈良貸」といわれた融資による経済の活性化も行います。ここでは秀長の大和支配の実態に触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 秀長の紀伊平定と支配

秀長が紀伊・和泉を領国として与えられたのは、紀伊攻めの最中でした。天正13年(1585年)4月上旬頃と考えられています。紀伊北部の戦いは4月下旬には一旦終結しましたが、紀伊南部や熊野地方には旧勢力や反対勢力が残っており、決して安定した状態で...
豊臣秀長

豊臣秀長 秀吉の関白就任と秀長の大和拝領

四国征伐の最中、秀吉は関白に就任し、正親町天皇から「豊臣」のという本姓を下賜されます。そして、越中を平定すると畿内周辺の国替えを実施し、秀長に大和国を与えます。関白就任、豊臣姓下賜の意味と秀長に大和国を与えた目的について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 秀吉の四国征伐の歴史的意義と展開

長宗我部元親は、賤ケ岳の戦いでは柴田勝家、小牧・長久手の戦いでは織田信雄・徳川家康に接近して四国での勢力の維持・拡大を図ったため、秀吉との対立は決定的になっていました。総大将となった秀長の行動を中心に合戦中の出来事も含めて触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 和泉・紀州征伐と支配の開始

小牧・長久手の戦いに勝利した秀吉は、織田信雄に与した勢力の鎮圧を進めます。最初に雑賀一揆と紀伊根来寺の和泉・紀伊へ侵攻。制圧後両国は秀長に与えられます。惣国秩序を否定して、中央集権支配へと進む和泉・紀伊侵攻と秀長の統治について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 小牧・長久手の戦い

賤ケ岳の戦い後、織田信雄は政務を主導する秀吉と対立、徳川家康も秀吉の関東政策介入によって対立し、両者は秀吉と衝突します。秀吉が勝利し天下人の立場を確立した小牧・長久手の戦いを秀長の活躍を含めて触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 賤ケ岳の戦い後の秀長の播磨・但馬支配

賤ケ岳の戦い後の領地配分で秀吉は摂津大坂城に新たに拠点を定め、姫路城には秀長が入ります。これにより秀長は播磨を与えられ、但馬と合わせた二か国を領国とします。秀長の播磨、但馬支配の実態。そして毛利氏との外交交渉について触れています。
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豊臣秀長 賤ケ岳の戦い・・・秀吉と柴田勝家の決戦

天正11年(1583年)4月21日に賤ケ岳で秀吉は柴田勝家と衝突します。また、この際秀長は「美濃守」に改称して、秀吉の代行ができる一門衆となります。「美濃大返し」といわれる秀吉の機敏な対応、戦場での秀長の様子について触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 清須会議とその後の政局展開

信長死後の織田政権の再編を目的として清須会議が開かれます。会議後は秀吉の勢力が拡大し政治的主導権を握りると、柴田勝家らと対立していきます。清須会議を経た、秀吉の勢力拡大過程と賤ケ岳の戦いに向かう両者の対立経緯について、触れています。
豊臣秀長

豊臣秀長 山崎の戦い

秀吉は明智光秀と山城国・山崎で織田政権の主導権を巡る戦いを行います。秀長も参戦し激戦が続きましたが、秀吉が勝利し、織田家中の実権を掌握していきます。秀吉、光秀双方の動きと戦いの様子、光秀の最後と明智氏の滅亡について触れています。