⑧ 長久手城
最初の築城年代や築城者は不明です。
戦国時代には、織田信雄に仕えていた加藤忠景が、前領主・斎藤氏の古城を修築して居城としていました。
この加藤忠景は岩崎城主・丹羽氏次の姉を正室に迎えおり、また娘を丹羽氏次の継室にと嫁がせていました。
現在の長久手城址は小さな公園になっており、のちに観音堂が建立されました。

小牧・長久手の戦いの際、加藤忠景は徳川家康に従い、義弟である岩崎城主・丹羽氏次の留守を預かった丹羽氏重のもとで奮戦しましたが、討死したとされています。
👉別の説では、加藤忠景は岩崎城では討死しておらず、のちの5月7日の加賀井城の戦いにて討死したともあります。
岩崎城の戦いの際、長久手城は森長可によって焼き討ちにされ、廃城となりました。




アクセス
住所:
愛知県愛知郡長久手町城屋敷2408
クルマ🚙
名古屋瀬戸道路 長久手IC より約2.5km (駐車場有)
電車🚉
愛知高速交通東部丘陵線 はなみずき通り駅 より約750m
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