① 山内一豊陣跡(東軍)
関ケ原の戦いでは、桃配山後方の中山道に陣を敷き、南宮山に陣取った毛利勢の動きを牽制しました。
毛利勢が動かなかったため、家康の命により前進して戦闘に参加しました。
一豊は関ケ原の戦いでは大きな武功をあげることはできませんでしたが、合戦前に居城を明け渡したことで土佐の国主となります。
現在では陣跡を示す標識と松の木が目印となっています。
ギャラリー




アクセス
住所:
岐阜県不破郡関ケ原町野上1390
電車🚉
JR東海道本線 関ケ原駅より約2.1Km
(関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)
関連スポット
◆「徳川家康最初陣跡」については、こちらもご参照ください

「関ケ原の戦い」の関連史跡:徳川家康最初陣跡(桃配山)
徳川家康は関ケ原の戦いの早朝、桃配山に移動して中腹に陣を敷きました。家康は「軍議」を開き、午前10時頃陣を引き払って「徳川家康最後陣」に本陣を移し、戦闘が本格化しました。家康が関ケ原で最初に陣を敷いた最初陣跡を紹介しています。
「関ケ原の戦い」関連史跡めぐりコース
◆「関ケ原の戦い」に関連する史跡巡りコースをご紹介しています。
こちらも合わせて、ご覧ください。

「関ケ原の戦い」の関連史跡めぐり
徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)が戦い、戦いに勝利した家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれ、歴史上有名な戦いの1つにあげられる関ケ原の戦い。その戦いに参加した武将の陣跡、開戦地などの史跡を巡るコースを紹介しています。
関ケ原の戦いについて
◆「関ケ原の」戦いについて、こちらもご覧ください

徳川家康25 関ヶ原に向けて・・・上杉討伐と石田三成の挙兵
慶長五年(1600)徳川家康は五大老の一人であった上杉景勝に謀叛の嫌疑を掛け討伐に乗り出します。さらにその隙を狙って石田三成も挙兵。天下分け目の関ケ原の戦いへと向かっていく上杉討伐の経緯と石田三成の挙兵について解説しています。

徳川家康26 小山評定から関ヶ原へ
家康が会津の上杉征伐へ向かう中、石田三成が挙兵します。小山評定で、諸将は三成との決戦を決めます。福島正則や池田輝政は岐阜城を落とし、家康も合流し、東軍は関ヶ原に向かいます。小山評定から関ヶ原に至る過程を解説しています。

徳川家康27 関ヶ原後の諸大名の処遇と徳川体制への布石
関ヶ原の合戦に大勝した家康は戦後処理を進めます。西軍の主要メンバーは戦死した大谷吉継を除き、市中引き回しの上処刑。東軍の主力であった豊臣大名は大幅な加増となりますが、地方へと転封となります。家康が自らの体制を築いていく過程を解説しています。




コメント