「桶狭間の戦い」の関連史跡:丹下砦

史跡

⑦ 丹下砦

沿革

織田信長は、織田信秀の死後に山口教継の寝返りによって今川氏の配下となった鳴海城を取り囲むように、丹下砦、善照寺砦、中島砦、の三砦を築き、さらに大高城との連絡を絶つべく、大高側に丸根砦、鷲津砦を築きました。

桶狭間の戦い

丹下砦には水野帯刀(忠広)、山口海老丞(広憲、守孝)が配置されました。砦の建築は孤立した前線基地へ敵勢をおびき寄せる目的もありました。

丹下砦には鳴海城の北方、15世紀後半まで集落があった土地の古屋敷が利用されました。
砦は東西約64メートル、南北約50メートルと、東西46メートル、南北50メートルの2つの曲輪を中心に、その周囲に一辺100メートルの外構えを巡らしたもので、館型の城郭中心部と、広い外郭の組み合わせでした。

現在では大部分が宅地化され、城址碑も存在しません。

現在の丹下砦

アクセス

住所:愛知県名古屋市鳴海町丹下26
最寄駅:名鉄名古屋本線 鳴海駅
    鳴海駅から徒歩15分(鳴海駅から徒歩圏内)
クルマ:知多半島道路 大高ICから10分
    駐車場はありません
見学時間:5分

私は鳴海駅から中島砦、丹下砦、鳴海城と一緒に徒歩で向かいました。

鳴海駅   ー徒歩5分→ 
①中島砦  ー徒歩12分→ 
②善照寺砦 ー徒歩20分→ 
③丹下砦  ー徒歩10分→ 
④鳴海城  ー徒歩5分→ 鳴海駅 
と徒歩で回りました。

鳴海城と取り囲む砦の位置関係を確認しながら訪問するといいと思います。(2022年12月訪問)

◆大高城については、こちらをご参照ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:大高城
織田勢に対する今川方の最前線の位置にあった大高城。信長は丸根、鷲津砦を築き大高城を牽制します。桶狭間の前夜(諸説あり)、徳川家康は大高城に兵糧を入れ、翌朝丸根砦を落とします。今川VS織田の最前線となった大高城をご紹介しています。

◆丸根砦については、こちらをご覧ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:丸根砦
織田信長が今川勢の大高城への最前線の拠点として鷲津砦とともに築いた砦です。桶狭間の前哨戦として徳川家康(松平元康)が、佐久間盛重を守将とした織田勢を全滅させたことでも有名な丸根砦跡をご紹介しています。

◆鷲津砦については、こちらをご覧ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:鷲津砦
織田信長が今川勢の大高城への最前線の拠点として丸根砦とともに築いた砦です。桶狭間の戦いの前哨戦として、朝比奈泰朝によって門扉や営柵に火が放たれ、守将・飯尾定宗らは死傷しました。桶狭間の戦いの前哨戦が行われた鷲津砦をご紹介しています。

◆鳴海城については、こちらをご覧ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:鳴海城
鳴海城は桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後も、城将・岡部元信は抵抗し続けたことで有名です。そして、元信は主君・今川義元の首と引き換えに開城します。そのような歴史の舞台となった鳴海城の今をご紹介しています。

◆中島砦については、こちらをご覧ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:中島砦
織田信長によって今川方の鳴海城を囲むように、丹下砦、善照寺砦とともに築かれました。永禄3年(1560)5月今川義元の尾張侵攻に対して、信長は清洲城から、丹下砦、善照寺砦、中島砦の順に移ります。桶狭間に出陣した中島砦を紹介しています。

◆善照寺砦につては、こちらをご覧ください。

「桶狭間の戦い」の関連史跡:善照寺砦
織田信長によって今川方の鳴海城を囲むように、丹下砦、中島砦とともに築かれました。永禄3年(1560)5月今川義元の尾張侵攻に対して、信長は清洲城から、丹下砦、善照寺砦、中島砦の順に移ります。信長が兵を集めたともいわれる善照寺砦を紹介しています。

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