「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長久手古戦場

史跡

⑤ 長久手古戦場

三河国・岡崎城を目指し、岩崎城を占領した池田恒興森長可に徳川軍出現の報が伝わると、両将は引き返しはじめます。

そのころ、家康は富士ヶ根より前山に陣を構えました。右翼に家康自身3,300人、左翼には井伊直政勢3,000人、これに織田信雄勢3,000人。
引き返して対峙した恒興・森勢は右翼に恒興の嫡・池田元助(之助)、次男・池田輝政勢4,000人、左翼に森勢3,000人、後方に恒興勢2,000人が陣取った。

天正12年(1584年)4月9日午前10時頃、両軍が激突。戦闘は2時間余り続いたといわれます。
戦況は一進一退の攻防が続きましたが、前線に出て戦っていた森長可が狙撃されて討死して左翼が崩れ始めると、徳川軍優勢となっていきました。
池田恒興も自勢の立て直しを図ろうとしましたが、永井直勝の槍を受けて討死にした。 池田元助も安藤直次に討ち取られ、池田輝政は家臣に父・兄は既に戦場を離脱したと説得され、戦場を離脱しました。
やがて恒興・森勢は潰滅、合戦は徳川軍の勝利に終わり、追撃したのち小幡城に引きあげました。
この日の長久手の戦いにおける羽柴軍の死者2500余人、織田・徳川軍の死者590余人といわれます。

アクセス

住所:
 愛知県長久手市武蔵塚204

クルマ🚙
 名古屋瀬戸道路 長久手IC より約1.8km
 
電車🚉
 愛知高速交通東部丘陵線 長久手古戦場駅 より約600m

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