⑥ 羽柴秀吉 本陣跡


「ひょうたん」の馬印が風になびいたであろう藤吉郎秀吉の陣地一帯を「はたぼこ」と呼び、400年後の今もその名を伝えています。
「はたぼこ」とは、戦陣に将軍の標識として立てた旗(将軍の陣営のしるし)のことらしいです。


この戦いの前年、秀吉は、木下藤吉郎から羽柴筑前守に改めています。
当地には「木下秀吉陣地」と「羽柴秀吉陣地」の両方の石碑があります。

◆「織田信長戦地本陣(茶臼山)」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:茶臼山 織田信長本陣跡
天正3年(1575年)5月20日。織田信長は設楽原の戦いに備え、最初の本陣(極楽寺跡)で軍議を開いた後、茶臼山に本陣を移し、織田・徳川連合軍の指揮をとりました。新東名長篠設楽原下りPAからも行ける本陣跡を写真とともに触れています。
◆「長篠の戦い」については、こちらもご覧ください。

徳川家康8 長篠の戦いの戦略と遠江平定への道のり
天正三年(1575)五月二十一日、奥三河の要衝・長篠城を巡る戦いが織田・徳川連合軍と武田軍の間で起こります。織田・徳川軍を勝利に導いた戦略とは?戦後、信長は天下人への道を進み、家康は遠江へ領土拡大、勝頼は衰退していく過程を解説しています。
アクセス
住所:愛知県新城市牛倉石田8−3
クルマ🚙
新東名高速道路「新城IC」から約4Km
電車🚉
JR飯田線「茶臼山駅」から約2.5Km




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