④ 北外山砦
由来は北外山城として始まります。
築城年は不明ですが、尾張国守護代として、上四郡(葉栗郡・丹羽郡・中島郡・春日井郡)を支配した岩倉織田家の織田与四郎が居城しました。その後、文明11年(1479年)岩倉城が築城される頃までには廃城となります。

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際、織田信雄・徳川家康連合軍の砦として、 北外山城跡が修復されて北外山砦となりました。
蟹清水砦・宇田津砦と共に小牧山城の右方の連砦として秀吉軍に対抗。 「羽黒の戦い」の時期は、本多忠勝、後に松平家忠が守護、 「長久手の戦い」の時期は、松平真一・奥平信昌・本多忠勝・本多広孝らが護もりました。


アクセス
住所:
愛知県小牧市北外山
クルマ🚙
名神高速 小牧IC、名古屋高速 小牧北IC より約5.2km
電車🚉
名鉄小牧線 間内駅 より約550m
◆蟹清水砦については、こちらもご参照ください。

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:蟹清水砦
この地には織田信長が永禄6年(1563年)、丹羽長秀に小牧山に築城を命じた際、長秀が建てたと言われている屋敷がありました。徳川家康はこの屋敷を修復して砦としたとされます。また、江戸時代には尾張徳川家の御殿となった砦を紹介します。
◆羽黒の戦い(八幡林古戦場)については、こちらもご参照ください。

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:八幡林古戦場(羽黒の戦い)
小牧・長久手の戦いはここから始まりました。羽柴方は森長可、徳川方は酒井忠次、榊原康政、奥平信昌らが陣取りました。天正12年(1584)3月17日の夜明けとともに始まり、徳川勢の勝利に終わった八幡林古戦場を紹介しています。
◆長久手の戦い(長久手古戦場)については、こちらもご覧ください。

「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長久手古戦場
池田恒興、森長可に徳川軍出現の報が伝わると、両将は引き返し徳川軍と激突します。戦況は一進一退でしたが森長可が狙撃されると徳川軍優勢となり、池田恒興も討死するなど池田・森勢は壊滅。徳川軍の勝利に終わった長久手の戦いを説明しています。



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