徳川家康

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「長篠の戦い」の関連史跡:馬防柵

武田騎馬隊の突進を防ぐだけでなく、火縄銃を乗せて狙撃の命中精度を上げ、連合軍を勝利へと導きました。連吾川沿いに全長2キロメートル、三重で作られていたようで、使われた丸太は信長の領地・岐阜から運び込まれ、現地調達はしていないといわれます。
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「長篠の戦い」の関連史跡:徳川家康本陣跡

長篠の戦いのとき、徳川家康は連吾川から西に300m離れた高松山に本陣を構えたと伝えられています。織田・徳川連合軍は徳川家康と佐久間信盛が最前線に陣を構え、対峙する武田軍は前線に馬場信房らの武田四天王が布陣し、背後に武田勝頼が本陣を置きました。
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「長篠の戦い」の関連史跡:岡崎信康本陣跡

長篠の戦いのとき、徳川家康の嫡男である岡崎(松平)信康は、石川数正や平岩親吉と共に松尾神社に布陣しました。家康の本陣から400mほど後方、織田信長の本陣の南側に位置します。この時、信康17歳。後に信長の命によって自刃させられています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:織田信忠本陣跡

天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いのとき、織田信忠は野邊神社に陣所を置きます。信長の南側、松平信康の後方に位置します。信忠はこの時、19歳。この後、岩村城や甲斐を攻め、武田家を滅ぼして織田家当主として磐石の地位を築いていきます。
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「長篠の戦い」の関連史跡:羽柴秀吉本陣跡

長篠の戦いの時、羽柴秀吉は織田信長戦地本陣の北側、織田・徳川連合軍の最左翼に陣を構えます。この一帯を「はたぼこ」と今もその名を伝えています。戦いの前年秀吉は、木下から羽柴に改めたため、「木下秀吉陣地」と「羽柴秀吉陣地」の両方の石碑があります。
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「長篠の戦い」の関連史跡:茶臼山 織田信長本陣跡

天正3年(1575年)5月20日。織田信長は設楽原の戦いに備え、最初の本陣(極楽寺跡)で軍議を開いた後、茶臼山に本陣を移し、織田・徳川連合軍の指揮をとりました。新東名長篠設楽原下りPAからも行ける本陣跡を写真とともに触れています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:極楽寺 織田信長本陣跡

織田信長は、天正3年(1574年)5月15日に徳川家康の岡崎城に入り、長篠城の武田軍包囲網を抜け出した鳥居強右衛門の救援要請を聞き、18日にのまずこの極楽寺跡に着陣します。最初に設楽原に着陣した極楽寺跡を写真とともに触れています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:鳥居強右衛門の墓

天正3年武田勢に長篠城が包囲されると、鳥居強右衛門は城を脱出して徳川家康に援軍を求めた。しかし、武田軍に捕まり嘘を強要されますが、援軍が来ることを伝え、その場で磔に処せられたといいいます。新昌寺の強右衛門の墓を写真とともに触れています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:鳥居強右衛門磔の地

天正3年5月、長篠城は武田勝頼に取り囲まれ窮地に陥ります。その時、鳥居強右衛門が徳川氏への救援要請に志願。承諾を得て城に戻る途中、武田の兵に捕まります。嘘をつくことを拒否して磔となった強右衛門のエピソードと磔の碑について触れています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:長篠城

長篠城は長篠菅沼氏の2代当主・菅沼元成によって1508年(永正5年)に築城されました。徳川氏に属していた天正3年(天正3年)武田勝頼に攻囲され、長篠の戦いが始まる舞台となります。長篠城の歴史、長篠の戦いの関連の場所ついて触れています。
史跡巡りコース

「桶狭間の戦い」の関連史跡巡り1 ~桶狭間古戦場公園と周辺史跡~

永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いが行われたといわれる場所にある「桶狭間古戦場公園」。公園内とその周辺にある関連史跡、それらを巡るコースについてご紹介しています。
史跡巡りコース

「桶狭間の戦い」の関連史跡巡り2 ~沓掛、大高、鳴海城と5つの砦めぐり~

永禄3年(1560年)5月、織田信長が桶狭間に陣取った今川義元を破り、天下統一の第一歩となった「桶狭間の戦い」。戦いの緒戦となった今川勢の大高城、鳴海城、そしてその周辺に築かれた織田勢の砦の説明と史跡を巡るコースを紹介しています。
史跡

「桶狭間の戦い」の関連史跡:丹下砦

織田信長によって今川方の鳴海城を囲むように善照寺砦、中島砦とともに築かれました。永禄3年(1560)5月今川義元の尾張侵攻に対して、信長は清洲城から、丹下砦、善照寺砦、中島砦の順に移ります。信長が最初に入った丹下砦を紹介しています
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「桶狭間の戦い」の関連史跡:善照寺砦

織田信長によって今川方の鳴海城を囲むように、丹下砦、中島砦とともに築かれました。永禄3年(1560)5月今川義元の尾張侵攻に対して、信長は清洲城から、丹下砦、善照寺砦、中島砦の順に移ります。信長が兵を集めたともいわれる善照寺砦を紹介しています。
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「桶狭間の戦い」の関連史跡:中島砦

織田信長によって今川方の鳴海城を囲むように、丹下砦、善照寺砦とともに築かれました。永禄3年(1560)5月今川義元の尾張侵攻に対して、信長は清洲城から、丹下砦、善照寺砦、中島砦の順に移ります。桶狭間に出陣した中島砦を紹介しています。