長篠の戦いとは
天正3年(1575)5月三河 (愛知県) 設楽原における武田勝頼と、織田信長、徳川家康の連合軍との戦い。
勝頼は、天正2年(1574) 年遠江 (静岡県) の高天神城を落とすと、その勢いに乗って翌年長篠城をを囲みます。城主奥平定昌 (のち信昌) の要請により、信長と家康が出陣。
極楽寺山に陣した信長は馬防柵を設け、3000梃の鉄砲隊で勝頼の騎馬隊を大敗させました。
この戦いは、その後の築城法や戦術に画期的変化をもたらしました。
地図中の「長篠の戦い」の関連史跡をめぐるコースと、各史跡についてご紹介しています。
▲赤数字:織田・徳川軍関連史跡、青数字:武田軍関連史跡、黒数字:主な戦闘場所
※①~③、①~④は別のテーマでとりあげる予定です。
1:⑥ 羽柴秀吉本陣跡 新東名新城ICから車で約10分
新城市牛倉宗国地域の田んぼの奥に石碑があります。
駐車場はないので、石碑の近くに車を停めて石碑まで歩くことをお勧めします。
田植え後に訪問(長篠の戦いの時も田植え後であると思いますが・・・)したので、のどかな風景が広がり、織田信長が最後に本陣を置いた茶臼山を望むことができます。(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 織田信長本陣跡(茶臼山)へ車で移動
2:⑦ 織田信長本陣跡(茶臼山) 羽柴秀吉本陣跡から車で約6分
織田信長が決戦時に本陣を移した所になり、新東名高速道路 長篠設楽パーキングエリアに隣接します。
羽柴秀吉本陣跡からは、車で茶臼山の周りをまわり、ぷらっとパーク 長篠設楽原PA(下り)に停めて、訪問することができます。(観覧時間20分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 織田信長本陣跡(極楽寺跡)へ車で移動
3:④ 織田信長本陣跡(極楽寺跡)織田信長本陣跡(茶臼山)から車で約5分
織田信長が設楽原に最初に着陣した陣地になります。
徳川家康の家臣・酒井忠次の「鳶ヶ巣山砦」攻撃の進言を受けた場所ともいわれます。
その後、信長は茶臼山へと本陣を移しました。(観覧時間10分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 織田信忠本陣跡へ車で移動
4:⑤ 織田信忠本陣跡 織田信長本陣跡(極楽寺跡)から車で5分
織田信忠は、父・信長の茶臼山本陣の南、やや後方の野辺神社に本陣を置きました。現在は写真の標識があります。
小さな用水路沿いに神社があります。道も細く、駐車場もありませんので駐車に注意してください。(観覧時間10分)

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➡ ➡ ➡ 岡崎信康本陣跡へ車で移動
5:⑧ 岡崎信康本陣跡 織田信忠本陣跡から車で5分
岡崎(松平)信康(徳川家康嫡男)は織田信長の茶臼山本陣の南、家康の本陣の後方の松尾神社に本陣を置きました。
信康は当時17歳、信康が切腹したのは4年後のことになります。
道路が広くなっている部分がありますので、駐車可能です。(観覧時間10分)

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➡ ➡ ➡ 徳川家康本陣跡へ車で移動
6:⑨ 徳川家康本陣跡 岡崎信康本陣跡から車で約5分
徳川家康本陣は織田・徳川連合軍の最前線に位置し、武田軍の馬場信房、内藤正豊、山県昌景らと対峙しました。
長篠の戦いは三河における戦い(家康の戦い)なので、最前線に陣取りました。
駐車できるスペースを見つけて駐車をお願いします。(観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 丸山砦へ車で移動
7:① 丸山砦 徳川家康本陣跡から車で5分
徳川・織田連合軍の佐久間信盛が陣を敷きますが、武田軍の馬場信房が奪い返しました。戦線の北部に位置するこの要衝は馬場が最後まで守り抜きました。
現在は写真のように道路脇のこんもりした茂みになっています。砦前の道路が少し広くなっています。(観覧時間10分)

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➡ ➡ ➡ 大宮前激戦地へ徒歩で移動
8:② 大宮前激戦地 丸山砦から徒歩で5分
馬場信房による丸山占領に続いて、勢いに乗じた真田信綱・昌輝兄弟や土屋昌次、穴山信君らの諸隊が激戦を繰り広げた場所になります。
現在では他の場所同様に、激戦を想像できないのどかな場所になっています。
(観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 高森恵光寺の塚へ徒歩で移動
9:⑥ 高森恵光寺の塚 大宮前激戦地から徒歩5分
現地には2つの墓碑があります。
左は平成9年夏に作られたもので安山岩でできており、右は平成の始め、付近の田から出てきた花崗岩の不思議な石です。
高森恵光寺快川の墓ではないかという地元の説により、2つ並んでいます。
(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 丸山砦に戻って、馬房策左端へ車で移動
10:⑪ 馬防柵左端 丸山砦から車で5分
史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 武田勝頼観戦地へ車で移動
11:⑦ 武田勝頼観戦地 馬防柵から庚申堂の駐車場まで車で5分
設楽原決戦時、武田軍総大将・武田勝頼はこの地より全軍の指揮を執りました。
観戦地入口の向かいに庚申堂の駐車場があり利用可能です。
駐車場から観戦地までは徒歩10分程度です。案内板通りに進んでください。
(観覧時間25分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 設楽原歴史資料館へ車で移動
12:設楽原歴史資料館 庚申堂の駐車場から車で5分
1996年(平成8年)4月にの開館以来、「長篠・設楽原の戦い」に関する貴重な資料をはじめ、地元新城の考古・歴史・民俗などに関する多様な資料の保存・展示を通して、地域文化の継承と生涯学習の促進を目的としています。
開館時間:午前9時から午後5時(入場は午後4時30分まで)
休館日:毎週火曜日(火曜日が休日の場合は次の平日が休館)※ただし、夏休み期間中は開館
年末年始(12月29日から1月3日)
入館料:一般400円、小中学生100円
観覧時間:20分
※この後は資料館の駐車場に車を停めさせていただいて、徒歩で各所を巡りました。
➡ ➡ ➡ 甘利信康の墓へ徒歩で移動
13:⑧ 甘利信康の墓 設楽原歴史資料館から徒歩で5分
甘利信康は、馬防柵の第3柵をも破る勢いで奮闘しましたが、徳川勢に押し戻され、庄屋屋敷の門扉に寄りかかり立ったまま切腹したと伝わります。
歴史資料館の駐車場から降りてきた、交差点の角にあります。
(観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 設楽原・連吾川、柳田前激戦地へ徒歩で移動
14:③ 設楽原・連吾川 甘利信康の墓から徒歩で1分
主戦場となった設楽原は雁峰山から南流して豊川に注ぐ連吾川を挟む平地です。
平地ですが、南北に長い狭隘な窪地のような地形で、所々に丘陵の連なりや川があるほか、でこぼこだらけの難所です。
現在では写真のようなのどかな風景が広がります。(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

15:④ 柳田前激戦地
史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 馬防柵へ徒歩で移動
16:⑩ 馬防柵 柳田前激戦地から徒歩で5分
馬防柵が、地元の人々によって復元されています。
武田騎馬隊の突進を防ぐだけでなく、銃を載せて狙撃の命中精度を上げ、連合軍を勝利へと導きました。
馬防柵の内側に車で行けます。また、設楽原に降りることも可能です。
(観覧時間15分)

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➡ ➡ ➡ 小幡信貞の墓へ徒歩で移動
17:⑫ 小幡信貞の墓 馬防柵から徒歩で7分
信貞は討ち死にせずに、武田領に帰ります。
古戦場にある墓は、この戦いで戦死した小幡憲重(父)の墓とも信貞の弟のものともいわれるが、明確ではありません。
道路から一段高い位置にあります。
(観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 信玄塚(小塚)へ徒歩で移動
18:⑫ 信玄塚(小塚) 小幡信貞の墓から徒歩で3分
織田・徳川連合軍側の死者を弔った塚になります。
こちらを小塚と呼び、武田軍の死者を弔った塚を大塚と呼びます。
徳川軍は約5000人が犠牲になったと伝わります。
(観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 山県昌景の墓へ徒歩で移動
19:⑮ 山県昌景の墓 信玄塚(小塚)から徒歩で1分
道路の標識から入り、小高い丘を登った所に山県昌景の墓があります。
昌景の首は山梨に持ち帰られ、胴体がここに埋められたと伝わります。
家臣、その他の山県隊の戦士の墓もあります。
(観覧時間15分)

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➡ ➡ ➡ 原昌胤の墓へ徒歩で移動
20:⑭ 原昌胤の墓 山県昌景の墓から徒歩で5分
原昌胤は、山県昌景とともに9回突撃しますが、徳川軍の大久保忠世、大須賀康高の必死の抵抗に合い柵を破ることはできませんでした。
最後は織田鉄砲隊の一斉射撃で、大量の銃弾を浴び、討ち死にしたと伝わります。 (観覧時間5分)

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➡ ➡ ➡ 信玄塚(大塚)へ徒歩で移動
21:⑬ 信玄塚(大塚) 原昌胤の墓から徒歩で5分
武田軍側の死者を弔った塚になります。
こちらを大塚と呼び、織田・徳川連合軍の死者を弔った塚を大塚と呼びます。
武田軍の犠牲者は1万人と伝わります。
(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 土屋昌次の墓へ徒歩で移動
22:⑪ 土屋昌次の墓 信玄塚(大塚)から徒歩で5分
土屋昌次は戦が始まると、真田信綱、真田昌輝と共に右翼の天神山に陣を敷きます。大宮前激戦地で織田勢の三重柵の二重まで突破したが、一斉射撃を受け戦死したといいます。
隣は従士温井左近昌国の墓。
(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 横田綱松の墓へ徒歩で移動
23:⑨ 横田綱松の墓 土屋昌次の墓から徒歩で5分
史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 内藤昌豊の墓へ徒歩で移動
24:⑩ 内藤昌豊の墓 横田綱松の墓から徒歩で1分
内藤昌豊は武田軍中央勝頼本陣の隣に兵約1,500を率い布陣。開戦後左翼に移動し、徳川家臣・本多忠勝、石川数正隊と戦います。
敗戦濃厚になると勝頼に退却を進言し、自らは「大」の旗を持ち、殿として、横田兄弟と本陣に踏みとどまり、奮戦の末、討ち死にしました。
(観覧時間5分)

史跡の詳細は、こちらをご参照ください

➡ ➡ ➡ 設楽原歴史資料館へ徒歩で戻ります
設楽原歴史資料館 内藤昌豊の墓から徒歩で5分
➡ ➡ ➡ 真田兄弟の墓へ徒歩で移動
25:⑤ 真田兄弟の墓 設楽原歴史資料館から車で5分
真田幸隆(幸綱)の長男・真田信綱と、二男・真田昌輝兄弟は真田幸村の父真田昌幸の兄です。
西の連吾川、東の五反田川に挟まれた丘陵地に馬場信春、土屋昌次らと右翼に構え、丸山砦の佐久間信盛との戦いで討死しました。
駐車スペースがありませんので、駐車には注意してください。(観覧時間5分)

参考
長篠の戦いについては、以下のコンテンツもご参照ください。


以上、設楽原周辺の史跡巡りコースのご紹介になります。
ここに記載の情報は、小生が訪れた2023年6月の情報になります。
周辺に飲食店はほとんどないため、おにぎりを持って散策してみてはいかがでしょうか。
お役に立てれば幸いです。




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