⑫ 信玄塚(小塚)
天正3年(1575)の長篠の戦いの戦死者を埋葬した塚とされます。
👉武田軍は1万人が、織田・徳川連合軍は5000人が犠牲になったといわれます。
信玄の名がついているのは、彼の人が武田の威光を示す存在だったことの表れとも言えるでしょう。
これらの塚については、築いた2つの塚の上に松を植え、武田軍を弔った方を大塚、織田・徳川連合軍側の死者を弔った方が小塚と呼ばれたとも伝承されます。
確証はないそうですが・・・





◆「長篠の戦い」については、こちらもご覧ください。

徳川家康 長篠の戦いの戦略と遠江平定への道のり
天正三年(1575)五月二十一日、奥三河の要衝・長篠城を巡る戦いが織田・徳川連合軍と武田軍の間で起こります。織田・徳川軍を勝利に導いた戦略とは?戦後、信長は天下人への道を進み、家康は遠江へ領土拡大、勝頼は衰退していく過程を解説しています。
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住所:愛知県新城市竹広
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