⑧ 岡崎信康 本陣跡
天正3年(1575年)5月21日の長篠設楽原の戦いのとき、徳川家康の嫡男である岡崎(松平)信康は、石川数正や平岩親吉と共に松尾神社に布陣しました。
家康の八剱神社の本陣地から400mほど後方、織田信長が本陣を置いた茶臼山の南側に位置します。

この時、信康17歳。
後に信長の命によって 二俣城 にて自刃させられています。






◆「徳川家康本陣跡」については、こちらもごらんください。

「長篠の戦い」の関連史跡:徳川家康本陣跡
長篠の戦いのとき、徳川家康は連吾川から西に300m離れた高松山に本陣を構えたと伝えられています。織田・徳川連合軍は徳川家康と佐久間信盛が最前線に陣を構え、対峙する武田軍は前線に馬場信房らの武田四天王が布陣し、背後に武田勝頼が本陣を置きました。
◆「織田信長戦地本陣跡」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:茶臼山 織田信長本陣跡
天正3年(1575年)5月20日。織田信長は設楽原の戦いに備え、最初の本陣(極楽寺跡)で軍議を開いた後、茶臼山に本陣を移し、織田・徳川連合軍の指揮をとりました。新東名長篠設楽原下りPAからも行ける本陣跡を写真とともに触れています。
◆信康が自刃した「松平信康事件」については、こちらもご覧ください。

徳川家康9 松平信康事件の真相とは?
天正7年(1579年)に徳川家康の嫡男・信康、正妻・築山殿が自刃する事件が起こります。通説では信康正妻・徳姫が父の織田信長に信康・築山殿の不正を訴え、信長が自刃を命じたとされます。事件の推移、三河の情勢などから、この事件に触れています。
◆「長篠の戦い」については、こちらもご覧ください。

徳川家康8 長篠の戦いの戦略と遠江平定への道のり
天正三年(1575)五月二十一日、奥三河の要衝・長篠城を巡る戦いが織田・徳川連合軍と武田軍の間で起こります。織田・徳川軍を勝利に導いた戦略とは?戦後、信長は天下人への道を進み、家康は遠江へ領土拡大、勝頼は衰退していく過程を解説しています。
アクセス
住所:愛知県新城市富永字松屋2
クルマ🚙
新東名高速道路 新城ICから約3.5Km
電車🚉
JR飯田線 「茶臼山駅」から約1Km



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