「長篠の戦い」の関連史跡:医王山 武田勝頼本陣跡

史跡

② 医王山 武田勝頼本陣跡

武田勝頼本陣は、天正3年(1575年)の長篠の戦いの際、勝頼が医王寺の裏山に陣城として築いたものとされます。
この陣城は、丘陵の先端部で比高差約30mをもつ標高約120mの位置に立地しています。

場所は、約600mの南方に位置する長篠城に睨みを利かすような位置にあたり、また、長篠城包囲における武田軍の各陣をくまなく展望することができます。
さらには西方への視野も広がり、豊川下流方向からの長篠救援の軍が近づくことも視野に入れることができました。

この山の頂部での築城は長篠包囲の拠点であり、救援軍を迎え討つ拠点として家康との対決を視野に入れた選地でもあったことが考えられます。

医王寺山頂には物見櫓が再建され、長篠城や新東名高速道路を一望にします。

◆「長篠城」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:長篠城
長篠城は長篠菅沼氏の2代当主・菅沼元成によって1508年(永正5年)に築城されました。徳川氏に属していた天正3年(天正3年)武田勝頼に攻囲され、長篠の戦いが始まる舞台となります。長篠城の歴史、長篠の戦いの関連の場所ついて触れています。

◆「医王寺」については、こちらをご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:医王寺
長篠山医王寺は永正11年(1514)の創立。曹洞宗で薬師如来を本尊とします。天正3年(1575)長篠の戦いの時、武田勝頼が本陣を背後の山に置きます。出撃前夜、夢に現れた老人がの腕を切り落としたため、境内の葦が全て片葉になった伝説が残ります。

アクセス

住所:新城市長篠弥陀前256

クルマ🚙
 新東名高速道路 新城ICより約5分

電車🚉
 JR飯田線 「大海」駅または「長篠城」駅下車。徒歩約15分

※医王寺正門近くから遊歩道で10分ほど

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