2026-06

史跡

「長篠の戦い」の関連史跡:武田勝頼観戦地

長篠の戦いで織田・徳川連合軍との決戦を決断した武田勝頼は、設楽原決戦の開戦時に連吾川を見下ろすこの才ノ神の赤禿山に陣を移して観戦します。ここからは家康本陣、柳田前激戦地、丸山砦など連吾川沿いの戦線を一望、全軍を指揮したとされる場所です。
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「長篠の戦い」の関連史跡:高森恵光寺の塚

長篠の戦いのとき、高森恵光寺宗賢は、武田信実の指揮下に入り、鳶ヶ巣山砦を守備していたようです。しかし、酒井忠次の奇襲攻撃を受け、下山して設楽原の武田勢と合流しますが、子の恵光寺快川はじめ、主従ことごとく戦死したと推定されています。
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「長篠の戦い」の関連史跡:真田兄弟の墓

真田幸村の父・昌幸の兄である信綱と昌輝は、長篠の戦いで、馬場信春、土屋昌続らと右翼に構え、丸山砦の佐久間信盛との戦いで討死しました。真田源太左衛門尉信綱、真田兵部丞昌輝の名が彫られた墓と共に奮戦した家臣の墓も同じ場所にあります。
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「長篠の戦い」の関連史跡:馬場信春の墓

武田四天王の一人。川中島の戦い、駿河侵攻、三方ヶ原の戦い等で武功をあげる。信玄の死後は勝頼を補佐する。長篠の戦いでは武田軍の右翼に陣取り奮戦するが、勝頼に撤退を進言し、自らは殿を務めた。勝頼撤退を見届けると命を落とした。
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「長篠の戦い」の関連史跡:鳶ヶ巣山砦

天正3年(1575)の長篠の戦いの際、武田軍は鳶ヶ巣山砦をはじめ5つの砦を築き長篠城を監視しました。長篠城救済のため酒井忠次が、四千の兵を率いて砦を奇襲。激戦となりますが、多くが討死して砦は落城。長篠城の城兵と合流することができました。
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「長篠の戦い」の関連史跡:医王山 武田勝頼本陣跡

武田勝頼本陣は、天正3年(1575)の長篠の戦いの際、勝頼が医王寺の裏山に陣城として築きます。 標高約120mに位置し、 約600m南方に位置する長篠城を監視し、また、武田軍の各陣を確認できました。さらに長篠救援軍の動きも確認できました。