豊臣秀長 長浜時代の秀長の活動

豊臣秀長

元亀元年(1570年)4月、朝倉義景と戦闘中であった織田信長金ヶ崎の戦い)に対して、浅井長政(正妻は信長の妹・市)が反旗を翻します。
長政は自家の存続を図り、縁戚関係よりも政治的関係の深い朝倉氏と結んだのです。
その後、大坂本願寺の蜂起、長島一向一揆の発生、武田信玄の出陣など反信長包囲網が形成される中、将軍義昭も信長に敵対します。
しかし、信長は浅井・朝倉氏を滅ぼし、浅井氏旧領の北近江三郡を秀吉に与え、秀吉は長浜城主になります。
秀長も秀吉の与力として長浜で活動しており、数少ない史料から秀長の活動を確認することができます。

秀吉が長浜城主になる過程と秀長の長浜での活動をみていきます。

秀吉 長浜城主への過程

永禄12年(1569年)

織田信長の上洛(永禄11年10月)翌年の永禄12年4月以降、秀吉は丹羽長秀中川重政明智光秀とともに京都周辺の権益保護や紛争の裁定などの政務に関わります。

元亀元年(1570年)

4月 金ケ崎の戦い・・・浅井長政の謀反

秀吉はこの退却戦で明智光秀、池田勝正と殿を務め、追撃してくる朝倉勢を食い止め、信長が逃げる時間を作りました。

       ▶金ヶ崎古戦場(福井県敦賀市)

6月 姉川の戦い

戦後、秀吉は横山城の城番になり、浅井長政の居城・小谷城攻めを継続します。


       ▶姉川古戦場(滋賀県長浜市)


8月 野田・福島の戦い石山本願寺挙兵
9月 浅井・朝倉勢の近江侵攻 ・・・ 宇佐山城の戦い
  長島一向一揆

元亀2年(1571年)

5月 第一次長島侵攻
9月 浅井・朝倉勢に与した比叡山延暦寺を焼き討ち

元亀3年(1572年)

10月 武田信玄大坂本願寺、朝倉義景の呼びかけに応じて、織田家と敵対する勢力に加わり甲府を出陣

元亀4年(1573年)

2月 足利義昭の敵対
窮地に追い込まれる織田氏と政治的・軍事的相互補完の関係にあった将軍義昭は、信玄や義景の誘いを受けて信長との関係を見直し、敵対を示します。

信長は和平を求めますが、義昭はこれに応じなかったため、正親町天皇の仲介によって和睦を結びます。
しかし、対立は解消されず、7月に義昭は山城槙島城にて再度挙兵します。信長は義昭を降伏させ、京都から追放します。

こうした状況から、信長の「天下静謐」が求められ、信長は足利将軍家に代わる天下人へと歩み始めます。
また、この戦いに加わった秀吉は、義昭を警固して河内若江城への道中を途中まで送りました。

👉秀吉は、天正元年7月20日までに、苗字を「木下」から「羽柴」に改称し、「羽柴藤吉郎秀吉」として活動します。
羽柴苗字を創出することによって、信長の信頼のもと織田家内部で重きをなしていきます。
ちなみに秀長はまだ「木下」のままです。

天正元年(1573年)

8月には朝倉義景が自刃し、朝倉氏が滅亡
これにより、織田勢は本格的に小谷城の攻撃を開始します。
秀吉は同城の京極丸を攻略し、小丸にいた浅井久政(長政父)を自刃させます。8月1日には浅井長政が自刃して浅井氏も滅亡しました。

戦後、秀吉は浅井氏旧領の北近江三郡(伊香、浅井、坂田)を与えられ、小谷城を居城として統治を任されます。
天正3年(1573年)夏頃に城が完成すると、地名を「長浜」と改め、長浜城主として活動を始めます。
         ▶長浜城(滋賀県長浜市)

秀長の発給文書の初見

秀長の史料での初見は、天正元年8月16日に近江国伊香郡黒田郷に
「百姓が還住(帰村)したならば、軍勢による濫暴狼藉の禁止を保証し、違反者がいたら連絡することを命じる」証文を出しています。

黒田郷は浅井家領国のなかでも最北部地域に位置していたことから、秀長は秀吉による浅井家攻略において、与力として秀吉に配置されていて、領国北部の計略を担っていたと考えられます。

👉秀吉も8月11日に織田・浅井両軍の戦闘によって地域を逐われていた住人らに帰還を促し、自身の軍勢に属す足軽や下級戦闘員による破壊・略奪行為の取り締まりを保証しています。

秀長の長浜での活動記録

秀吉の長浜統治は天正元年(1573年)12月から開始されています。
長秀が長浜で残した数少ない史料を紹介します。

天正3年11月11日

伊香郡古橋村(長浜市)の土豪の「淡路・左京らに、「同村の年貢高を250石に規定し、その年貢収納にあたる「政所」職に任命」しています。

👉この判物で秀長自らの名を「羽小一郎長秀」と記しています。
「羽」とは「羽柴」苗字の略記であり、この時には羽柴苗字を名乗っていたことが分かります。
これを機に兄弟別個の行動が見られなくなることから、秀長の立場が、当主・秀吉を支える一門の人物として従い、各地を転戦していくことになります。

年代不詳 2月20日

黒田村に「45人分の労働負担」を課しています。

古橋・黒田両村は、いずれも近江国伊香郡内の地域になるので、秀長は伊香郡にまとまった所領を所持していたと思われます。

秀長の長浜での活動はおおよそ以上のことが知られるにすぎません。

【引用・参考】
・PHP文庫 堺屋太一著 全1冊 豊臣秀長
・筑摩書房 渡辺大門 羽柴秀長と豊臣政権 秀吉を支えた弟の生涯
・株式会社平凡社 黒田基樹著 羽柴秀長の生涯 秀吉を支えた「補佐役」の実像
・NHK出版 柴裕之著 秀長と秀吉 「豊臣兄弟」の天下統一
・Wikipedia
・コトバンク

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