③ 岡山(丸山)烽火場
合戦時には、長政とここに(標高164mの丘陵地・岡山)陣取り、戦機を見て烽火(のろし)をあげました。
山頂からは、周辺の状況を把握しやすく、開戦の烽火を上げるには最適な場所であったことが分かります。
ギャラリー








アクセス
住所:
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原748
電車🚉
JR東海道本線 関ケ原駅より約850m
(関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)
関連スポット
◆「松平忠吉・井伊直政陣跡」については、こちらもご参照ください

「関ケ原の戦い」の関連史跡:松平忠吉・井伊直政陣跡
松平忠吉は家康の四男で、関ケ原の戦いには舅の井伊直政と参戦しました。直政は初陣の忠吉に手柄を立てさせたいため宇喜多隊へ発砲し開戦しました。合戦の終盤、島津隊を追撃し戦果を挙げますが2人は傷を負います。2人が陣を敷いた跡を紹介しています。
◆「細川忠興陣跡」については、こちらもご覧ください。

「関ケ原の戦い」の関連史跡:細川忠興陣跡
細川忠興は石田三成とは仲が悪く、関ケ原の合戦では最初から東軍として参戦。会津征伐の際は妻・玉(ガラシャ)を失い、父・細川幽斎(藤孝)の田辺城が西軍によって包囲されるなど、苦境に立ちながも石田隊を壊滅させた細川忠興の陣跡を紹介しています。
「関ケ原の戦い」関連史跡めぐりコース
◆「関ケ原の戦い」に関連する史跡巡りコースをご紹介しています。
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「関ケ原の戦い」の関連史跡めぐり
徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)が戦い、戦いに勝利した家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれ、歴史上有名な戦いの1つにあげられる関ケ原の戦い。その戦いに参加した武将の陣跡、開戦地などの史跡を巡るコースを紹介しています。
関ケ原の戦いについて
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徳川家康25 関ヶ原に向けて・・・上杉討伐と石田三成の挙兵
慶長五年(1600)徳川家康は五大老の一人であった上杉景勝に謀叛の嫌疑を掛け討伐に乗り出します。さらにその隙を狙って石田三成も挙兵。天下分け目の関ケ原の戦いへと向かっていく上杉討伐の経緯と石田三成の挙兵について解説しています。

徳川家康26 小山評定から関ヶ原へ
家康が会津の上杉征伐へ向かっている最中、石田三成が挙兵します。家康は諸将を呼び寄せた小山評定で三成との決戦に決します。福島正則や池田輝政は岐阜城を落とし、家康も合流し、関ヶ原に向かいます。三成の挙兵から関ヶ原に至る過程を解説しています。

徳川家康27 関ヶ原後の諸大名の処遇と徳川体制への布石
関ヶ原の合戦に大勝した家康は戦後処理を進めます。西軍の主要メンバーは戦死した大谷吉継を除き、市中引き回しの上処刑。東軍の主力であった豊臣大名は大幅な加増となりましたが、遠隔地へと転封となります。家康がいかに自らの体制を築いていったか解説しています。




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