「関ケ原の戦い」の関連史跡:岡山(丸山)烽火場

史跡

③ 岡山(丸山)烽火場

豊臣恩顧の武将であった竹中重門は、最初は西軍に属していましたが、岐阜城落城後に黒田長政の勧めによって東軍に属しました。

            ▶岐阜城(岐阜県岐阜市)

合戦時には、長政とここに(標高164mの丘陵地・岡山)陣取り、戦機を見て烽火(のろし)をあげました。
山頂からは、周辺の状況を把握しやすく、開戦の烽火を上げるには最適な場所であったことが分かります。

ギャラリー

アクセス

住所:
 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原748

電車🚉
 JR東海道本線 関ケ原駅より約850m
 (関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)

関連スポット

◆「松平忠吉・井伊直政陣跡」については、こちらもご参照ください

「関ケ原の戦い」の関連史跡:松平忠吉・井伊直政陣跡
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「関ケ原の戦い」の関連史跡:細川忠興陣跡
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「関ケ原の戦い」関連史跡めぐりコース

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「関ケ原の戦い」の関連史跡めぐり
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関ケ原の戦いについて

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