「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:木下勘解由塚

史跡

③ 木下勘解由塚

白山林の戦い」で敗走してきた三好秀次に、自分の馬を与えた木下勘解由利匡が戦死した場所になります。

秀吉方の岡崎侵攻の総大将の三好秀次(後の豊臣秀次)は、天正12年(1584年)4月9日早朝に白山林(尾張旭市)で休憩中に、徳川先遣隊(大須賀康高榊原康政など)に奇襲攻撃を受け、総崩れとなります。

大将の秀次は混戦のうちに馬を失い南東方面へ走って逃げる途中、この地で家臣の木下兄弟に出合います。

この時、弟の木下勘解由左衛門利匡は自分の馬を秀次に譲り、秀次を逃がした後、兄弟の助左衛門祐久や周防守利直他の一族等と共にこの地に留まり秀次の御幣の馬印を地に刺し奮戦し討ち死にしました。
その戦死の地を印したのが勘解由塚になります。

アクセス

住所:
 愛知県長久手市荒田1-2

クルマ🚙
 東名高速、名古屋第二環状自動車道 名古屋ICより約2.7km
 
電車🚉
 名古屋市営地下鉄東山線 藤が丘駅 より約900m

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