小牧・長久手の戦い

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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:血池公園・鎧掛け松

長久手合戦後、徳川家康方が血の付いた刀や槍を洗ったといわれる「血の池」と呼ばれていた池があったとされる血の池公園。池で刀や槍を洗う時、将兵たちが鎧(甲冑)をかけたといわれる松について説明しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長篠古戦場首塚

小牧・長久手の戦いで勝利した徳川家康は、戦場処理を行なわず小牧山へ引上げた為、戦死した将兵たちは敵味方の区別なく放置されていたといいます。戦死者の供養を目的に岩作村・安昌寺の雲山和尚と地元民が中心となり築かれた首塚を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:長久手古戦場

池田恒興、森長可に徳川軍出現の報が伝わると、両将は引き返し徳川軍と激突します。戦況は一進一退でしたが森長可が狙撃されると徳川軍優勢となり、池田恒興も討死するなど池田・森勢は壊滅。徳川軍の勝利に終わった長久手の戦いを説明しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:桧ヶ根合戦地

「三好信吉(豊臣秀次)が白山林の戦いで総崩れになった」という報を受けた堀秀政隊は引き返し、桧ヶ根に陣を敷いて徳川軍を待ち構えました。徳川軍は返り討ちにされて逆に追撃されてしまいます。秀吉方の勝利に終わった桧ヶ根合戦地を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:木下勘解由塚

秀吉方の岡崎侵攻の総大将の三好秀次(豊臣秀次)が徳川先遣隊の奇襲攻撃を受けて総崩れとなり、馬を失って逃げる途中で家臣の木下勘解由左衛門利匡に出会います。利匡が自分の馬を秀次に譲り、逃がした後に討ち死にした場所の紹介になります。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:白山林古戦場

戦いが膠着状態となると羽柴勢は徳川氏の岡崎城を攻めるべく「三河中入り作戦」を開始。白山林で休息中の三好秀次隊に徳川勢は鉄砲を一斉射撃。不意を突かれた秀次隊は壊滅します。長久手の戦いの引き金となった白山林の戦いの古戦場を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:八幡林古戦場(羽黒の戦い)

小牧・長久手の戦いはここから始まりました。羽柴方は森長可、徳川方は酒井忠次、榊原康政、奥平信昌らが陣取りました。天正12年(1584)3月17日の夜明けとともに始まり、徳川勢の勝利に終わった八幡林古戦場を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:武蔵塚

森長可は池田恒興の娘婿で、小牧・長久手の戦いでは共に羽柴軍として参加していました。岡崎攻撃隊として岡崎に向かっていたところ、徳川家康との決戦になり長久手の戦いで討ち死にします。長可が亡くなった場所といわれる武蔵塚を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:勝入塚

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで、羽柴秀吉方の武将・池田恒興が無念の戦死をした場所になります。恒興は、天正10年(1582年)本能寺の変で主君・信長亡き後入道し、勝入齋と名乗りました。塚名はこの法名にちなむものです。長久手古戦場公園内に建立された勝入塚をご紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:三将の墓(常照寺)

長久手古戦場公園の北西1.2kmに位置する常照寺には天正12年(1584年)の長久手の戦いで戦死した池田恒興、その子息の池田元助、婿の森長可の墓があります。いきさつは不明ですが、3将の墓がある常照寺を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:二重堀砦

二重堀砦は規模が大きく、その名の通り二重の堀が巡らされていたと推測されます。ここから家康の本陣、小牧山には約2Kmしか離れていないので、夜襲を受け、両軍の小競り合いがあったそうです。日根野備中守弘就が守備した二重堀砦を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:田中砦

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉方の砦として築かれ、規模は東西約30m、南北約36mで、高さ約1.5mの土塁があったそうです。兵数は約1万3千人で守将は堀秀政、蒲生氏郷、加藤光泰が伝えられる田中砦を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:岩崎山砦

小牧・長久手の合戦で羽柴方の砦として築かれ、稲葉一鉄・貞通父子が4千の兵で守りました。小牧山城から3㎞に位置し、標高55mの頂からは城が一望でき敵の動きを見張る監視点と考えられます。小牧山城を見張った岩崎山砦をご紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:久保山砦

天正12年(1584年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれました。また秀吉自らが本陣の楽田城からこの砦に来てこの砦で指揮したとも伝えられ、太閤山とも呼ばれています。現在の熊野神社一帯が砦跡の久保山砦を紹介しています。
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「小牧・長久手の戦い」の関連史跡:小松寺山砦

天正12年(1584年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として築かれました。丹羽長重(一説に長秀)、三好秀次(豊臣秀次)が守備したとされます。東西二つの砦があったといわれる小松寺山砦を紹介しています。