① 関ケ原古戦場決戦地
「関ケ原古戦場決戦地」は石田三成が陣を敷いた笹尾山を背に、現在では田園の広がる地にあります。
ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。
慶長5年(1600年)9月15日午前8時頃に開戦した関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変します。
これによって、一気に東軍が優勢となり、午後2時頃には奮闘むなしく西軍は敗北します。
そしてこの決戦地は、東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。
関ケ原の戦いに関する各将の陣跡、史跡などの位置関係を確認すると、のどかな田園風景の中にも、石田三成、徳川家康、そして各将の思いや、当時の状況を少し想像することができます。
ギャラリー

右の旗が関ケ原決戦地







アクセス
住所:
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1202
電車🚉
JR東海道本線 関ケ原駅より約1.3Km
(関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)
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