「関ケ原の戦い」の関連史跡:徳川家康最後陣跡

史跡

⑦ 徳川家康最後陣跡

陣場野公園に「徳川家康最後陣跡」はあります。
関ケ原合戦当日午前11時ごろ苦戦に苛立った家康は、本陣を桃配山(徳川家康最初陣)から三成本陣の笹尾山まで直線距離にて約800mのこの地へ移動させました。

さらに、ここから松尾山の小早川秀秋に向けて威嚇の発砲を命じ、東軍への寝返りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています(問鉄砲)。
合戦後はこの場(床几場)にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されました。
その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により周囲の土塁や中央の土壇が築かれました

ギャラリー

アクセス

住所:
 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原959-2

電車🚉
 JR東海道本線 関ケ原駅より約650m
 (関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)

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