「関ケ原の戦い」の関連史跡:西首塚

史跡

⑪ 西首塚

「西首塚」は、JR関ヶ原駅前から国道21号線を西へ750mほど行ったところにあります。
「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。

現在は高さ2m、周囲30m程の塚ですが、JR東海道本線の敷設の際に埋葬されていた白骨が大量に出たところから、当時は相当な規模であったと思われます。

西首塚は「胴塚」とも呼ばれているので、東首塚にまず首を、さらに胴以下を西首塚(胴塚)に埋葬したとも推測できますが、東首塚は東軍関連、西は西軍関連の首塚とする説もあり、定かでありません。

ギャラリー

アクセス

住所:
 岐阜県不破郡関ケ原町関ヶ原駅

電車🚉
 JR東海道本線 関ケ原駅より約750m
 (関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)

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