「関ケ原の戦い」の関連史跡:福島正則陣跡

史跡

⑨ 福島正則陣跡

福島正則は、秀吉子飼いの大名でありながら関ケ原の戦いでは東軍に参加しました。
その最大の理由は、西軍の石田三成に対する憎しみによるものだったといわれています。福島正則は武断派なのに対し、石田三成は文治派で、二人の考えは正反対だったというのが通説となっています。

福島正則は慶長5年(1600年)9月15日未明に春日神社辺りに着陣し、開戦後、宇喜多隊に襲いかかったとされています。

春日神社の境内に陣跡があり、境内にそびえる樹齢800年の「月見宮大杉」は関ケ原合戦図屏風にも描かれています。

ギャラリー

アクセス

住所:
 岐阜県不破郡関ケ原町松尾111

電車🚉
 JR東海道本線 関ケ原駅より約1.2Km
 (関ケ原駅前からレンタサイクルで各史跡を巡ることをお勧めします)

関連スポット

◆「宇喜多秀家陣跡」については、こちらもご参照ください

「関ケ原の戦い」の関連史跡:宇喜多秀家陣跡
開戦時宇喜多秀家は福島正則の鉄砲隊によっる一斉発砲を受けます。戦況は一進一退でしたが、小早川秀秋の裏切りで宇喜多軍は崩れ、秀家は戦場を逃れたといいます。戦後は八丈島への流罪となり他の武将よりも長生きした宇喜多秀家の陣跡を紹介しています。

「関ケ原の戦い」関連史跡めぐりコース

◆「関ケ原の戦い」に関連する史跡巡りコースをご紹介しています。
こちらも合わせて、ご覧ください。

「関ケ原の戦い」の関連史跡めぐり
徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)が戦い、戦いに勝利した家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれ、歴史上有名な戦いの1つにあげられる関ケ原の戦い。その戦いに参加した武将の陣跡、開戦地などの史跡を巡るコースを紹介しています。

関ケ原の戦いについて

◆「関ケ原の」戦いについて、こちらもご覧ください

徳川家康25 関ヶ原に向けて・・・上杉討伐と石田三成の挙兵
慶長五年(1600)徳川家康は五大老の一人であった上杉景勝に謀叛の嫌疑を掛け討伐に乗り出します。さらにその隙を狙って石田三成も挙兵。天下分け目の関ケ原の戦いへと向かっていく上杉討伐の経緯と石田三成の挙兵について解説しています。
徳川家康26 小山評定から関ヶ原へ
家康が会津の上杉征伐へ向かう中、石田三成が挙兵します。小山評定で、諸将は三成との決戦を決めます。福島正則や池田輝政は岐阜城を落とし、家康も合流し、東軍は関ヶ原に向かいます。小山評定から関ヶ原に至る過程を解説しています。
徳川家康27 関ヶ原後の諸大名の処遇と徳川体制への布石
関ヶ原の合戦に大勝した家康は戦後処理を進めます。西軍の主要メンバーは戦死した大谷吉継を除き、市中引き回しの上処刑。東軍の主力であった豊臣大名は大幅な加増となりますが、地方へと転封となります。家康が自らの体制を築いていく過程を解説しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました