⑦ 茶臼山 織田信長本陣跡
天正3年(1575年)5月20日、織田信長は設楽原の戦いに備えて、最初の本陣(極楽寺跡)で軍議を開き、武田軍の騎馬隊攻略の作戦を練った後、茶臼山に本陣を移しました。
すぐ北側に羽柴秀吉陣地、最前線の弾正山に徳川家康本陣を配置して総指揮をとりました。
本陣跡へ


新東名長篠設楽原下りPAより(左写真)より「織田信長戦地本陣跡」の立て看板がみえます。


登り道は整備されていて上りやすいです。看板を目指して上っていきます。


本陣跡に到着です。

珍しい信長の歌碑があります。
「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」


本陣跡には稲荷社があり、鳥居は嘉永二年(1849)建立。
一般道(パーキングと反対側)からの登頂ルートは、稲荷神社の参道でもあります。
茶臼山の信長本陣跡には高台になっている稲荷社、そして歌碑と周辺の削平地くらいしか残っていませんでした。
◆「極楽寺 織田信長本陣跡」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:極楽寺 織田信長本陣跡
織田信長は、天正3年(1574年)5月15日に徳川家康の岡崎城に入り、長篠城の武田軍包囲網を抜け出した鳥居強右衛門の救援要請を聞き、18日にのまずこの極楽寺跡に着陣します。最初に設楽原に着陣した極楽寺跡を写真とともに触れています。
◆「羽柴秀吉本陣跡」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:羽柴秀吉本陣跡
長篠の戦いの時、羽柴秀吉は織田信長戦地本陣の北側、織田・徳川連合軍の最左翼に陣を構えます。この一帯を「はたぼこ」と今もその名を伝えています。戦いの前年秀吉は、木下から羽柴に改めたため、「木下秀吉陣地」と「羽柴秀吉陣地」の両方の石碑があります。
◆「徳川家康本陣跡」については、こちらもご覧ください。

「長篠の戦い」の関連史跡:徳川家康本陣跡
長篠の戦いのとき、徳川家康は連吾川から西に300m離れた高松山に本陣を構えたと伝えられています。織田・徳川連合軍は徳川家康と佐久間信盛が最前線に陣を構え、対峙する武田軍は前線に馬場信房らの武田四天王が布陣し、背後に武田勝頼が本陣を置きました。
◆「長篠の戦い」については、こちらもご覧ください。

徳川家康8 長篠の戦いの戦略と遠江平定への道のり
天正三年(1575)五月二十一日、奥三河の要衝・長篠城を巡る戦いが織田・徳川連合軍と武田軍の間で起こります。織田・徳川軍を勝利に導いた戦略とは?戦後、信長は天下人への道を進み、家康は遠江へ領土拡大、勝頼は衰退していく過程を解説しています。
アクセス
住所:愛知県新城市牛倉城山
クルマ🚙
新東名高速道路新城ICから約4km(または、長篠設楽原PAから徒歩)
電車🚉
JR飯田線「茶臼山駅」から約2.6Km



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