徳川家康

徳川家康6 三方原合戦と武田信玄の死

足利義昭の上洛を果たした信長に朝倉氏、浅井氏、三好三人衆、大坂本願寺が挙兵。武田信玄とも対立し、家康は三方原の戦いで敗戦します。この結果、義昭も信長と対立します。この対立の原因となる三方原の戦いに至る過程とその影響について触れています。
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徳川家康7 武田勝頼の侵攻(長篠の戦いへ向かう過程)と信康事件のきっかけ

信玄の死で家康は領地の回復に成功。しかしあとを継いだ勝頼は遠江、美濃、三河に進軍を開始します。その時、信康の家臣が武田氏に内通するなど苦しい展開で、長篠城が取り囲まれます。家康と勝頼の戦いと長篠の戦いにつながる経緯について触れています。
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徳川家康8 長篠の戦いの戦略と遠江平定への道のり

天正三年(1575)五月二十一日、奥三河の要衝・長篠城を巡る戦いが織田・徳川連合軍と武田軍の間で起こります。織田・徳川軍を勝利に導いた戦略とは?戦後、信長は天下人への道を進み、家康は遠江へ領土拡大、勝頼は衰退していく過程を解説しています。
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徳川家康9 松平信康事件の真相とは?

天正7年(1579年)に徳川家康の嫡男・信康、正妻・築山殿が自刃する事件が起こります。通説では信康正妻・徳姫が父の織田信長に信康・築山殿の不正を訴え、信長が自刃を命じたとされます。事件の推移、三河の情勢などから、この事件に触れています。
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徳川家康10 武田氏滅亡の過程は?

御館の乱の対応で武田氏は北条氏と対立、木曽義昌、穴山梅雪らの重臣も離反します。天正10年(1582)織田信長は甲州征伐を決めます。織田勢に不利な情勢となり、ここでも小山田信茂が離反し勝頼は討たれます。武田氏が滅亡に至る過程に触れています。
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徳川家康11 本能寺の変と家康の対応は?

武田征伐後、堺見物をしていた家康は、本能寺の変の報に触れます。追腹しようとしますが、重臣達の意見で三河に戻って弔い合戦をすることを決意します。家康の本能寺の変前後の行動、また家康の「三大危機」に数えられる「伊賀越え」について触れています。
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徳川家康12 信長亡き後、家康の行動は?・・・天正壬午の乱

本能寺の変を受け、甲斐・信濃・上野にも動揺が広がります。北条氏や上杉氏が旧武田領に触手を伸ばし、家康も信濃に進出し天正壬午の乱が始まります。織田家の要請を受けて和睦しますが、乱の発生経緯から終結まで各地の情勢を交えながら触れています。
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徳川家康13 天正壬午の乱後の五カ国領有と領国化

天正壬午の乱のあと、徳川家康は5ヵ国を領有する大名となります。従来の三河国・遠江国・駿河国に加え、新たに組み込まれた甲斐国・信濃国で、武田旧臣などの在地勢力とどのように関わり、統地をどのように進めていったのかについて触れています。
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徳川家康14 信長亡き後、羽柴秀吉は如何に織田家の主導権を握ったか? そして、その時家康は?

信長亡き後、後継を巡る主導権争いが起こります。信忠嫡男・三法師、信長次男・信雄、信長三男・信孝に羽柴秀吉、柴田勝家など宿老の思惑も絡んだ争いとなり、最後は秀吉が勝利します。信長亡き後の織田家での権力争いを解説しています。
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徳川家康15 小牧・長久手の戦いと秀吉天下人への過程とは?

織田信雄は親秀吉派家臣を粛清し、秀吉と断交します。家康も織田家親戚大名として信雄を支持。一方、秀吉はこの行為を敵対行為とみなし両軍は戦いへ(小牧・長久手の戦い)。圧倒的兵力の差から秀吉が勝利。戦いの状況、秀吉の天下人への過程を説明しています。
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徳川家康16 真田氏の離反、石川数正の出奔、そして秀吉の「家康成敗」へ至る過程

天正壬午の乱の和睦条件により家康が真田氏に沼田領の引き渡しを求めると、天正十三年(1585)真田氏は家康から離反します。同年十一月、宿老石川数正が秀吉のもとに出奔します。秀吉との対立に至る真田氏との関係は?宿老数正出奔の謎を解説しています。
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徳川家康17 秀吉への臣従と秀吉の天下統一「惣無事令」とは?

天正13年(1585)徳川家康と豊臣秀吉は対決が避けられない状況でしたが、天正大地震により融和路線に替わり、家康は秀吉に出仕します。家康が秀吉に出仕する過程と豊臣政権における立場と役割、秀吉の惣無事令に基づいた九州征伐ついて触れています。
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徳川家康18 「関東・奥惣無事」活動と北条氏への対応(小田原攻めへの過程)

家康の「関東・奥両国惣無事」活動の役割は北条氏に秀吉への従属を促すことでした。北条氏は明確な態度を示めさず、防備を固めます。家康が北条氏に最後通告すると、氏規が上洛し臣従の意を示します。しかし北条氏が真田領の名胡桃城を奪ったことで秀吉は討伐を決意します。小田原征伐に至る秀吉、家康、北条氏の関係と経緯に触れています。
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徳川家康19 「関東・奥両国惣無事」活動としての小田原合戦と秀吉の奥州仕置き

「関東・奥両国惣無事(関東・奥州平定)」を進める秀吉は、北条氏への攻撃を決意、小田原城を包囲し降伏させます。そして、関東・奥州の要として家康に関東移封を命じ、奥州仕置きに取り掛かります。小田原合戦から奥州平定に至る過程を解説しています。
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徳川家康20 家康の関東統治構造

家康が入部した頃の江戸は、水陸交通の要所であり政治の拠点ともなっていました。この江戸を中心に家康はどのように関東を統治していったか。家康が巧みに一門衆、重臣を領地に配置し領国の平和維持に努めた過程を解説しています。