「長篠の戦い」の関連史跡:長篠城

史跡

長篠城

築城

長篠城は1508年(永正5年)土岐氏の一族の菅沼元成が築いたと伝えられる宇連川と寒狭川の合流点の北側断崖上に位置する天然の要害の城になります。
元成以後、俊則、元直、貞景、正貞が城主を務めています。

戦国時代

長篠菅沼氏徳川家康に服属していた元亀2年(1571年)、武田信玄による三河侵攻の一端として、天野景貫によって攻められます。陥落は免れますが、菅沼総領家・田峯菅沼氏からの使者の説得を受け、菅沼正貞は、心ならずも武田軍の圧力に屈します。
元亀4年(1573年)、武田信玄の病が悪化し死去すると、その間隙、徳川家康は長篠城を攻めます。
天正元年8月(1573年)、城主・正貞は徳川軍に対して開城し、自らは退去し城に戻ることはありませんでした。

以後、長篠城は徳川家の城となり、徳川家康は武田軍の再侵攻に備えて、長篠城をさらに拡張し、防御力を高めました。(現在に残る本丸の大規模な土塁などはこの時のものと考えられている。)

            ▶本丸の土居と堀


天正3年5月21日(1575年6月29日)、父・信玄の跡を継いだ武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城の奪還を試みたことによって長篠の戦いが始まります。
天正4年(1576年)奥平信昌が新城城を築城し、長篠城は廃城になったとされます。

👉1929年(昭和4年)、長篠城の城跡一帯が国の史跡に指定。 その後、帯曲輪跡には「新城市立長篠城址史蹟保存館」が建設され、長篠の戦いの理解を助ける展示がされるようになりました。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(46番)に選定されています。

👉住所:新城市長篠字市場22-1
👉アクセス
 クルマ🚙
 新東名高速:新城インターチェンジより、国道151号を飯田方面へ約3キロメートル
 東名高速:豊川インターチェンジより、国道151号を新城方面へ約19キロメートル
 電車🚉
 JR飯田線長篠城駅で下車、徒歩約8分(長篠城駅に停車する電車は上り、下りとも約1時間に1本ずつです。)

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