豊臣秀長 賤ケ岳の戦い後の秀長の播磨・但馬支配

豊臣秀長

織田政権の再編と秀吉の台頭

賤ケ岳の戦いにおいて、織田信孝および柴田勝家が滅亡し、さらに滝川一益や柴田方の与力が秀吉に服従したことにより、織田家中における反秀吉勢力は事実上消滅しました。
この結果、織田政権は当主・織田信雄の名目のもとで、羽柴秀吉が政権運営を主導する体制へと移行していきます。

領地配分

天正11年(1583年)5月25日、秀吉は坂本城で織田家諸将および自身の家臣団に対して、戦後処理としての領地配分と転封を実施しました。

この措置は、あくまで「信雄補佐」という形式を取りながら行われましたが、実質的には秀吉が主導権を握り行われたと思われます。

👉この過程を通じて秀吉は、織田家諸将との関係を深め、彼らの上位に立つ政治的地位を確立
  していきます。

大阪城築城と政権拠点の転換

領地配分を終えた秀吉は、池田恒興から収公した摂津大坂を新たな政権拠点に定め、石山本願寺跡に大坂城の築城を開始します。

👉池田恒興は美濃大垣に転封

6月2日に織田信長の一周忌法要を営んだのち、秀吉は大坂城に入城します。
大坂城は、本丸・二の丸・三の丸を備え、さらに広大な外郭を有する大規模城郭であり、本丸のは五層八重の天守が築かれました。
これは、秀吉が単なる織田家家臣ではなく、天下統一を目指すことを象徴していました。

一方、信雄は尾張・伊勢・伊賀を領国として長島城を本拠地として、信長の後継者である三法師は坂本城に移されました。
これにより安土城は政治的役割を失い、秀吉によって廃城となりました。

秀長による播磨支配

播磨における領有関係

賤ケ岳の戦い後の領地配分において、秀長は播磨および但馬の支配を任され、二国を領国とする立場となりました。

👉清須会議後に与えられていた丹波福知山領はこの時点で収公されています。

これにともない、秀吉の本拠地であった姫路城か秀長の本拠地とされました。

しかし、播磨一国が秀長に一括して与えられたわけではありませんでした。
播磨東部には前野長康(三木城)、西部には蜂須賀正勝(竜野城)、広瀬城には神子田正浩が配置され、さらに黒田孝高をはじめとする秀吉直臣が各地に所領を持っていました。

👉これらの武将はいずれも秀吉の直臣であり、秀長との主従関係はなかった点が需要です。

また、秀吉は播磨国内に蔵入地(直轄地)を設定し、その管理を周辺所領の直臣に兼任させていたと考えられます。
慶長3年(1598年)時点で、播磨国石高の約2割を蔵入地が占めていたとされることからも、播磨が豊臣政権にとって戦略的・財政的に重要な地域であったことがうかがわれます。

史料上で確認できる秀長の直接支配地域は、播磨16郡のうち姫路城を含む飾東郡、加東郡、多可郡の3郡に限られています。

👉豊臣期を通じて播磨一国を単独で領有する大名が存在しなかったことは、この地域の特殊性を示しています。

播磨支配の実態と史料状況

秀長による播磨・姫路支配は、天正13年(1585年)4月に紀伊・和泉が新たに与えられるまでの約2年間でした。
ただし、その具体的な統治状況を明らかにできる史料はきわめて少なく、天正11年(1583年)9月から翌12年9月までの限られた期間に集中しています。

秀長自身の発給文書としては、天正11年11月7日付と推定される、飾東郡白国村における在地領主・白国氏への所領安堵状が確認されるのみです。
他方、家臣の小堀正次らの発給文書は一定数残されており、在地武士や自社の権益を保証する内容が中心となっています。

秀長による但馬支配

但馬についても、播磨と同様に一国すべてを秀長が支配していた訳ではありません。
竹田城には桑山重勝、豊岡城には木下助兵衛尉、出石城には青木重吉(一矩)が配置され、二方郡ついては宮部経潤が引き続き管轄していました。

これらの配置から、但馬もまた秀吉政権による分権的・重層的支配構造のもとに置かれていたことが分かります。

秀長と毛利氏との外交的役割

播磨・但馬の西方に位置する毛利氏とは、国境をめぐる交渉が継続的に行われていました。
秀長は播磨・但馬の諸将を統率し、毛利氏との外交交渉にあたるとともに、関係が悪化した場合には、秀吉に代わる軍事司令官(総大将)として行動することを期待されていたと考えられます。

👉秀長は、単なる地域統治者ではなく、西国経営における政治・軍事の中核的存在であったと
  考えられます.

まとめ

  • 賤ケ岳の戦い後、織田家中における反秀吉勢力は消滅し、秀吉主導の政権体制が確立した。
  • 秀吉は領地配分と大阪城築城を通じて、織田政権を実質的に再編した。
  • 秀長は播磨・但馬を任されたが、いずれも一国一円支配ではなく、秀吉直臣を含む
    重層的支配構造が採用された。
  • 播磨は蔵入地を多く含む、豊臣政権にとって特別な地域であった。
  • 秀長は内政・外交・軍事の各面で、西国支配を支える重要な役割を果たしていた。

【引用・参考】
・PHP文庫 堺屋太一著 全1冊 豊臣秀長
・筑摩書房 渡辺大門 羽柴秀長と豊臣政権 秀吉を支えた弟の生涯
・株式会社平凡社 黒田基樹著 羽柴秀長の生涯 秀吉を支えた「補佐役」の実像
・NHK出版 柴裕之著 秀長と秀吉 「豊臣兄弟」の天下統一
・Wikipedia
・コトバンク

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