沓掛城

史跡

沿革

 沓掛城の存在が記録されているのは、正中2年(1325)後醍醐天皇が、沓掛の住人・金堂宗光を召しだしたという記録です。また、応永年間(1394 – 1428)に城が築かれ、築城者は藤原義行との説もあります。
 いずれにしても、室町時代を通じて近藤氏が沓掛城主となっていました。

 戦国時代、9代目の近藤景春は松平広忠の家臣となっていました。
天文10年(1541)頃より尾張国で織田信秀の勢力が強くなり、三河へ出兵するようになると、近隣の土豪とともに信秀に追従します。
 しかし、天文20年(1551)の信秀死後は、鳴海城主主山口教継・教吉父子とともに今川義元の属していました。

 永禄3年5月18日(1560年6月11日)、尾張国への侵攻途中、今川義元は沓掛城に入ります。
ここで義元は軍評定を開き、織田勢に圧迫されていた大高城への兵糧入れや各武将の部署の再確認を行ったものと思われます。
 翌19日朝、義元は本隊を従え沓掛城を出発。大高道を通って桶狭間に入り、桶狭間の戦いに遭遇します。

 桶狭間の戦い後、城主は簗田政綱(簗田出羽守)、織田信照、川口宗勝が城主と代わります。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにおいて川口宗勝は西軍に参陣、敗戦後は伊達政宗にお預けとなり、沓掛城は収公され廃城となります。

現在の沓掛城址

大手門跡(2022年12月撮影)
本門跡(2022年12月撮影)
本丸を取り囲む空堀(2022年12月撮影)
諏訪曲輪跡(2022年12月撮影)
侍屋敷跡(2022年12月撮影)
駐車場(侍屋敷跡)(2022年12月撮影)

アクセス

住所:〒470-1101 愛知県豊明市沓掛町東本郷11
最寄駅:名古屋鉄道 名古屋本線 前後駅
    ※GoogleMapで車9分、徒歩42分と表示されます。
     私は前後駅よりタクシーを利用しました(片道約2,000円と記憶)。帰りはタクシーが
     いないので、行きに乗ったタクシー会社の連絡先を聞いておきました。
クルマ:伊勢湾岸自動車道・豊明ICから15分(駐車場あり(無料)10台程度)
見学時間:30分

最寄駅から遠いので、車もしくは駅からタクシーでの訪問がいいと思います。
(バスもあるようですが、便数は少ないようです)
今川義元が生前最後の夜を過ごした城として、訪問しました。
現在は「沓掛城址公園」として整備され本丸、空堀、諏訪曲輪などの遺構が確認できます。
(2022年12月訪問)

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