大高城

史跡

沿革

 天文年間(1532-55)は織田信秀の支配下にありましたが、信秀の死後、織田信長から離反した鳴海城主の山口教継の調略で、沓掛城とともに今川方の手に落ちます。
 これに対して信長は「丸根砦」と「鷲津砦」を築き、大高城に圧力を加えます。永禄2年(1559)には、朝比奈照勝が義元の命をうけ大高城の守りに入ります。

 翌永禄3年(1560)には、大高城の包囲を破りそのまま鵜殿長照が守備につきます。
5月18日夜には、大高城に松平元康が兵糧を届け、長照に代わり元康が城の守備につきます。
しかし、桶狭間の戦い義元の死を確認した元康が岡崎城に引き下がったため、大高城は再び織田家の領土となります。

 まもなく廃城となりますが、尾張藩家老の志水家が、元和2年(16161)にここに館を設けてから代々住むようになった。この館も明治3年(1870)に売却されました。

現在の大高城址

大高城への入口
本丸跡(右手の小高い所に城山八幡宮がある)
本丸跡にある標識
白山八幡宮
空堀
丸根砦から見た大高城
大高駅からみた大高城

アクセス

住所:〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町城山
最寄駅:東海道本線 大高駅
    大高駅から徒歩10分 (大高駅から徒歩圏内です)
クルマ:駐車場はありません(大高駅周辺の駐車場に止めてから徒歩で向かわれることを
    お勧めします)。
見学時間:30分

私は大高駅から丸根砦、鷲津砦と一緒に徒歩で向かいました。
GoogleMapを頼りに住宅街を抜け、細い道の先に大高城はありました。
曲輪跡や堀、土橋など確認できます
大高駅 ー10分→ 大高城 ー15分→ 丸根砦 ー15分→ 鷲津砦 ー8分→ 大高駅 
と徒歩で回りました。
位置関係が把握でき、少し当時の情景を思い浮かべることができます。
(2022年12月訪問)

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