源義経

源頼朝

衣川館に散る!! 源義経の滅亡

父・藤原秀衡より、義経を大将軍とし頼朝との対決を命じられた泰衡。しかし、朝廷や頼朝からの義経殺害圧力に屈し、義経を襲撃します。義経は抵抗することなく自ら自害したといわれます。殺害に至る背景、平泉に残る義経ゆかりの地の写真、動画をご覧ください。
源頼朝

頼朝が義経と決裂に至る経緯

平家滅亡に圧倒的な活躍をした義経。しかし、東国武士の中には独断での行動や功績のひとり占め等に対して不満を持つ者も少なくありませんでした。頼朝と義経の関係に後白河の存在も影響し、決裂への道を辿ります。決裂に至る背景や両者の心情を解説します。
史跡めぐり

源頼朝ゆかりの地を巡る ~静岡県富士市・清水町~

石橋山の戦いに敗れ、安房で再起し鎌倉入りを果たした頼朝。次は富士川の戦いです。水鳥が飛び立った音を源氏の攻撃と勘違いした平氏が逃げ出し戦いは終わります。富士川の戦いにまつわる史跡。そして、義経との対面を果たした対面石をご紹介しています。
源頼朝

上洛から半年で散った木曽義仲・・・裏では後白河と頼朝の密約があった?

上洛を果たした義仲ですが、皇位継承に口を出し後白河とは不仲に。後白河は頼朝に東国支配権を認めさらに不仲に、孤立した義仲は後白河を襲撃し幽閉します。頼朝は範頼・義経を派遣し義仲を滅ぼします。そして鎌倉にいた嫡男・義高にも危険が迫ります。
源頼朝

義経との再会、敵か、味方か、喜びと困惑

富士川の戦いに大勝した頼朝、異母兄弟の義経と面会を果たします。義経は味方か、それとも敵なのか。義経の背後には奥州最大勢力の藤原秀衡の影が・・・ 義経との対面を果たした頼朝を取り巻く平氏、藤原氏、御家人との関係を開設しています。