家康の最期

徳川家康

徳川家康 徳川公儀の諸制度と家康の最期

豊臣氏の滅亡後、家康は「武家諸法度」、「禁中並公家中諸法度」、「諸宗諸本山諸法度」を発し、徳川公儀の確立を明確化します。全てを成した後、家康は元和二年(1616)四月十七日、七十五歳でその生涯を閉じます。家康最期の活動を解説しています。