九条兼実

源頼朝

命運尽きる!! 頼朝の死

全国の武士を従えるようになった源頼朝。平治の幕府統制体制を整備のために、大姫の入内工作等を通して朝廷との結びつきを強めようとしますが、1199年正月亡くなります。原因は諸説ありますが現在でも謎のままです。晩年の頼朝についての記事になります
源頼朝

後白河法皇の死去と平時幕府体制への移行 ・・・ 御家人たちは不満!?

後白河法皇が死去したことで、九条兼実への接近、大姫の入内工作など頼朝の朝廷政策の変更。また、征夷大将軍に就任し、平時での御家人との主従関係の再定義など、頼朝の幕府統制機構の改革について解説しています。
源頼朝

頼朝、唯一の官軍として上洛!ついに後白河と面会!

奥州藤原氏を滅ぼし頼朝は唯一の官軍となります。そして、挙兵以来はじめて上洛を果たします。頼朝は後白河と8度もの会談を行いますが、摂政九条兼実との会談は2度のみです。しかし、頼朝が明かした仰天プラントとは?そのような中後白河が死去します・・・