源頼朝

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幕府の内紛と死してなお幕府を守る頼朝の威光

源頼朝の死後、鎌倉幕府では有力御家人による血で血を洗う権力闘争が勃発します。将軍の命も狙われ、最終的に権力を握るのは北条義時です。北条義時が権力を握るまで、梶原景時、比企義員、畠山重忠、和田義盛らが滅んでいく過程を解説しています。ご覧ください。
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命運尽きる!! 頼朝の死

全国の武士を従えるようになった源頼朝。平治の幕府統制体制を整備のために、大姫の入内工作等を通して朝廷との結びつきを強めようとしますが、1199年正月亡くなります。原因は諸説ありますが現在でも謎のままです。晩年の頼朝についての記事になります
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富士の巻狩り/曽我事件の影響・・・・・範頼の失脚と老臣たちの出家

富士の巻狩りの最中に突如起きた曽我事件。父の無念を晴らす子供達の仇討と伝わりますが、背後には様々な思惑が動いていた可能性も。 当時の幕府と御家人との関係を巡る状況、次期鎌倉殿への継承問題などを関連させながらこの事件を考察しています。
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後白河法皇の死去と平時幕府体制への移行 ・・・ 御家人たちは不満!?

後白河法皇が死去したことで、九条兼実への接近、大姫の入内工作など頼朝の朝廷政策の変更。また、征夷大将軍に就任し、平時での御家人との主従関係の再定義など、頼朝の幕府統制機構の改革について解説しています。
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頼朝、唯一の官軍として上洛!ついに後白河と面会!

奥州藤原氏を滅ぼし頼朝は唯一の官軍となります。そして、挙兵以来はじめて上洛を果たします。頼朝は後白河と8度もの会談を行いますが、摂政九条兼実との会談は2度のみです。しかし、頼朝が明かした仰天プラントとは?そのような中後白河が死去します・・・
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奥州藤原氏の滅亡

三代に渡って奥州平泉に栄華を誇った藤原氏でしたが、唯一の官軍を目指す頼朝に滅ぼされてしまいます。朝廷の意向を無視して突き進む頼朝、そして追認するしかない朝廷。パワーゲームの視点で藤原氏滅亡の過程を解説しています。
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衣川館に散る!! 源義経の滅亡

父・藤原秀衡より、義経を大将軍とし頼朝との対決を命じられた泰衡。しかし、朝廷や頼朝からの義経殺害圧力に屈し、義経を襲撃します。義経は抵抗することなく自ら自害したといわれます。殺害に至る背景、平泉に残る義経ゆかりの地の写真、動画をご覧ください。
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頼朝と奥州藤原氏の関係は?

奥州に一大勢力を築いた藤原氏。幼少期を過ごし、逃亡後も頼った義経との関係は? 最後の外敵となった頼朝との関係は? 是非、記事をご覧ください。また、藤原氏が残した史跡は世界遺産に指定されており、記事中のリンクから動画でもご覧ください。
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源頼朝の圧力と義経の逃避行

源頼朝は異母弟・義経追討に富士川の戦い以来5年振りに出陣します。義経は立ち向かう姿勢を見せますが、賛同する武士も少なくやむなく都落ちします。なぜ義経に協力する武士が少なかったのか?、義経の逃避行は?、叔父の行家は?是非、記事をご覧ください。
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頼朝が義経と決裂に至る経緯

平家滅亡に圧倒的な活躍をした義経。しかし、東国武士の中には独断での行動や功績のひとり占め等に対して不満を持つ者も少なくありませんでした。頼朝と義経の関係に後白河の存在も影響し、決裂への道を辿ります。決裂に至る背景や両者の心情を解説します。