2023-06

徳川家康

徳川家康 豊臣氏滅亡への家康の戦略とは

片桐且元暗殺計画を知った家康は、豊臣方との対決を決意します。真田信繁(幸村)らの奮戦はありましたが、大阪冬の陣・夏の陣を通して豊臣氏を滅亡に追い込んだ家康の戦略を解説しています。
徳川家康

徳川家康 大阪冬の陣に至る経緯とは

慶長十六年三月、二条城での対面で秀頼が家康に臣従しましたが、秀頼は以前として大阪城に居り、他の大名に比べて優越した立場にありました。そこに飛び込んできた方広寺の鐘銘と棟札問題。豊臣氏を滅亡に追い込む大阪の陣に至る過程を解説しています。
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徳川家康 大御所政治の外交政策とキリスト教への対応

秀忠に将軍職を譲り、徳川氏の世襲体制を確立し、大御所となる家康。家康がヨーロッパ、朝鮮、琉球等の諸外国に対してとった政策とは?また。諸外国と通称を行う上で重要となってくるキリスト教への対応は?家康の外交・宗教政策を解説しています。
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徳川家康 家康はいかに大名を統制し、秀頼と付き合ったか。

家康は御手伝普請を通して、江戸城や駿府城の普請に諸大名を動員し、統制も進めていきます。さらに、天皇の譲位や即位を通して秀頼よりも優位な立場となり、朝廷にも介入していきます。徳川公儀がどのように優越する存在となった過程を解説しています。