2022-10

源頼朝

幕府の内紛と死してなお幕府を守る頼朝の威光

源頼朝の死後、鎌倉幕府では有力御家人による血で血を洗う権力闘争が勃発します。将軍の命も狙われ、最終的に権力を握るのは北条義時です。北条義時が権力を握るまで、梶原景時、比企義員、畠山重忠、和田義盛らが滅んでいく過程を解説しています。ご覧ください。
源頼朝

命運尽きる!! 頼朝の死

全国の武士を従えるようになった源頼朝。平治の幕府統制体制を整備のために、大姫の入内工作等を通して朝廷との結びつきを強めようとしますが、1199年正月亡くなります。原因は諸説ありますが現在でも謎のままです。晩年の頼朝についての記事になります
源頼朝

富士の巻狩り/曽我事件の影響・・・・・範頼の失脚と老臣たちの出家

富士の巻狩りの最中に突如起きた曽我事件。父の無念を晴らす子供達の仇討と伝わりますが、背後には様々な思惑が動いていた可能性も。 当時の幕府と御家人との関係を巡る状況、次期鎌倉殿への継承問題などを関連させながらこの事件を考察しています。
源頼朝

後白河法皇の死去と平時幕府体制への移行 ・・・ 御家人たちは不満!?

後白河法皇が死去したことで、九条兼実への接近、大姫の入内工作など頼朝の朝廷政策の変更。また、征夷大将軍に就任し、平時での御家人との主従関係の再定義など、頼朝の幕府統制機構の改革について解説しています。
源頼朝

頼朝、唯一の官軍として上洛!ついに後白河と面会!

奥州藤原氏を滅ぼし頼朝は唯一の官軍となります。そして、挙兵以来はじめて上洛を果たします。頼朝は後白河と8度もの会談を行いますが、摂政九条兼実との会談は2度のみです。しかし、頼朝が明かした仰天プラントとは?そのような中後白河が死去します・・・