源頼朝 義経と決裂に至る経緯

源頼朝

梶原景時の讒言(ざんげん)

◆梶原景時の讒言◆
梶原景時は平氏追討の戦いにおいて源範頼と行動をともにし、頼朝の命である安徳天皇二位尼時子の確保のために動いていました。
ところが、屋島の戦い以降、義経は頼朝に連絡することなく独断での行動が目立つようになります。
壇ノ浦では西国武士を中心とした軍勢で平氏を倒したことで、東国武士の不満が出るようになります。
そこで、御家人を統率する立場にある侍所所司の景時は、頼朝に対して義経の批判を行います。

◆頼朝の指示◆
頼朝は義経に対して以下を指示します。
 ・関東の御家人が義経に対して不満を持っていることから、義経に随行した伊豆の御家人田代信綱
  に対して、東国の御家人が義経の指示に従うことを禁じます。
 ・宝剣の捜索を命じるとともに、壇ノ浦合戦後に頼朝が定めた分担を無視して九州に進出したこと、
  勝手に東国の御家人を処罰したことに怒りを示します。

◆腰越状◆
これに驚いた義経は、頼朝に「異心」(謀叛する意思がないことを誓った起請文)を提出します。
しかし、平宗盛をはじめとした捕虜を鎌倉に連行した義経に対して、頼朝は相模国酒匂宿(神奈川県小田原市)で足止めし、鎌倉入りを禁止しました。
1185年6月、義経は大江広元を介して「腰越状」を提出し、功績を否定されるのは「骨肉同胞の義、既に空しきに似る」(親族のよしみが空しいに等しい)として肉親の情に訴えますが、頼朝の怒りは収まらず対面すら許されませんでした。

◆義経の帰京◆
義経は宗盛・重盛を伴い、空しく京に戻ります。なお、宗盛は京に戻る途中、近江国篠原宿にて斬首されます。
その際、義経は「関東に恨みをなす者は義経に属すべし」と放言したため、起こった頼朝は義経に付与した平家没官領を没収するなど、両者の関係はさらに悪化していきます。

決裂の時

◆義経の伊予守任官と後白河の戦略◆
8月に義経は伊予守に補任されますが、通常は受領に昇任すれば辞任する検非違使に留任しています。これは後白河の意向によるもので先例のないことでした。

検非違使は在京活動が原則で義経は京に残らなければならない状況になりました。
一方で受領は遥任(現地に赴任しない)が一般的なため、受領に就任した段階で鎌倉在中が原則の源氏の一門は鎌倉に召喚されることになります。
つまり、検非違使への留任は鎌倉召喚を防ぐ後白河の作戦でした。

後白河は常に最大勢力に対しては対抗馬を持っており(平氏には義仲、義仲には頼朝)、京に義経を留めておきたい後白河と鎌倉に戻りたくない義経の思惑が一致したのではないかと思います。
これに対して、頼朝は伊予国に地頭を補任して義経の国務を妨害します。
鎌倉召喚の拒否こそが両者の決裂を決定つけます。

頼朝と義経の心情

◆頼朝の義経に対する気持ち◆
・予想以上に義経に対する朝廷の評価が高まってしまった。
・幕府内にも4歳の頼家と比較して、義経が頼朝の後継者にふさわしいとの見方が生まれた。
・後白河のもとで独自の軍事組織を構築して、頼朝に対抗する危険性を感じた。
・壇の浦から帰国後、平時忠の娘を室に迎え、平氏を連携する可能性があった。
以上のことから、鎌倉で範頼と同様に一門として処遇することで自分の統制下に入れようとし、殺害するつもりはなかったと思われます。

◆義経の頼朝に対する気持ち◆
・平氏の滅亡を果たし、後白河との結びつきが強くなった今としては京が活躍の場となった。
藤原秀衡との緊張が増している鎌倉では暮らしにくい
・勢力を持つことで粛清された上総広常や甲斐源氏一条忠頼のことが脳裏をよぎる

以上のことから、義経は後白河の庇護受けて、頼朝の意向を拒んだ。

最終的な決裂

◆義朝供養への参列拒否◆

義経から平氏滅亡の報を受け取った日に立柱式を行った勝長寿院で、10月に父・義朝を弔う供養が予定され、義経の鎌倉下向問題が再び表面化します。
鎌倉始まって以来の大規模な儀式となるはずで、父・義朝の供養である以上義経の出席が求められるのは当然でした。
しかし、義経は召喚を拒否します。そればかりか伊予国での業務妨害、没官領の没収などを理由に挙兵の意思を後白河に伝えます。
ここに両者の関係は決定的な決裂を向かえます

義経暗殺計画

頼朝にも家長、亡父への不義は義経追討に十分な理由であり、多くの御家人の納得を得られるものでした。まず、刺客として土佐房昌俊に83基を率いさせ10月に鎌倉を出立させます。

襲撃を辛くも退けた義経は後日、後白河に迫って頼朝追討宣旨を受けます。
義経にとっては平氏滅亡という功績を残したにも関わらず、このような理不尽な扱いは納得できるものではありませんでした。
また、唯一の官軍を目指していた頼朝にとっては、義経が後白河との関係を深め独立した勢力を持つことは見逃すことはできず、また討伐する相手ができたことに変わりはありませんでした。

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