用語 さ行

左衛門尉(さえもん の じょう)

左衛門府の第三等の官。大尉・少尉各々二人あり、従六位下、正七位上相当。

左馬頭(さま の かみ)


左馬寮(さまりょう)の長官。従五位上相当。ひだりのうまのかみ。
※左馬寮:右馬寮とともに官馬の飼養などをつかさどった役所。

在庁官人(ざいちょうかんじん)

単に在庁とも。現地採用の国司の下級役人。平安中期から国守は遥任(ようにん)と称して赴任せず,目代(もくだい)を派遣して現地の豪族から在庁官人を採用して事務をとらせるのが一般化した。
目代と在庁官人で構成される執務機関を留守所(るすどころ)という。おおむね世襲で,武士となるものが多かった。

侍所(さむらいどころ)

鎌倉幕府と室町幕府において、軍事・警察を担った組織。

三種の神器(さんしゅのじんぎ)

日本神話において、天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニ二ギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた三種類の宝物、すなわち八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(草薙剣)(あまのむらくものつるぎ(くさなぎのつるぎ))、八尺瓊勾玉(たさかにのまがたま)の総称。また、これと同一とされる、日本のの歴代天皇が古代より象徴として伝世してきた三種類の宝物を指す。

守護(しゅご)

鎌倉幕府・室町幕府の職名。文治元年(1185)源が勅許を得て国ごとに有力御家人を任命して設置。軍事・警察権を中心に、諸国の治安・警備に当たった。室町時代に至り、しだいに領国支配を進め、守護大名とよばれるようになった。

地頭(じとう)

 平安末期、所領を中央の権門勢家に寄進し、在地にあって荘園管理に当たった荘官。
 鎌倉幕府の職名。文治元年(1185)源頼朝が勅許を得て制度化。全国の荘園・公領に置かれ、土地の管理、租税の徴収、検断などの権限を持ったが、しだいに職域を越えた存在となり、室町時代には在地領主化が進行した。承久の乱以前のものを本補地頭、以後のものを新補地頭という。
 江戸時代、地行取の旗本。また、各藩で知行地を与えられ、租税徴収の権を持っていた家臣。

受領(ずりょう)

平安中期から用いられた,任国におもむく国司の別称
この呼称は荘園が増加し,公領が国衙 (こくが) 領といわれるようになり,国司の仕事が徴税請負人的性格を強めたことに起因する。遙任国司に対し現地におもむく国守(介)をいう。おもに中・下級貴族が多かったが,徴税権や成功 (じようごう) ・重任 (ちようにん) などによって巨富を蓄え,政治的に進出し,のちに院政政権の支持層となった。なかには任期終了後も土着して勢力をふるい,武士団を組織するものもあった。

征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)

「征夷(=蝦夷を征討する)大将軍」を指す。朝廷の領外官の一つであり、武人の最高栄誉職である。
朝廷は、武人を歴史的に朝廷を支えたことが際立った征夷大将軍へ補任することで、源頼朝以降、江戸幕府が倒れるまで、武家の棟梁と認めることが通例となった。
合わせて公卿(三位以上)へ時間の前後はあるが補任され公権力の行使や荘園所有なども正当に認められた存在だった。この将軍が首班となる政治体制はのちに幕府政治と呼ばれる。

征東大将軍(せいとうだいしょうぐん)

中国と日本で用いられた将軍の称号の一つで東夷を征する将軍の意であるが、常に任命されるとは限らない。
天慶3年(940)藤原忠文(平将門征伐)、寿永3年(1184)源義仲(源頼朝征伐)が任命されました。

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