用語 か行

河内源氏

河内国(現在の大阪府の一部)に根拠地を置いた清和源氏の一流。一般的に武士で「源氏」という場合、この系統を指す。
清和源氏の武士団を摂津国川辺郡多田(兵庫県川西市多田)に最初に形成した源満仲の三男の源頼信を祖とする。頼信の長兄は摂津源氏の祖の源頼光であり次兄は大和源氏の祖の源頼親である。

国地頭(くにじとう)

鎌倉幕府草創期に国ごとにおかれたとされる地頭。1185年(文治元)末,源頼朝が源義経・同行家の追捕(ついぶ)を目的に,その設置を朝廷に要求し認められたもの。その国の荘園・公領を問わず,段別5升の兵粮米を徴収する権利をもち,同時に賦課の対象となる田地に対して検注権を含む支配権を行使した。紀伊を含む7カ国の北条時政,播磨・美作両国の梶原景時,備前・備中・備後諸国の土肥実平・同遠平,伊賀国の大内惟義,九州諸国の天野遠景などが国地頭に推定されている。しかし時政が86年3月に辞退するなど,国地頭制は早く衰退し,その実態については不明な点が多い。近年,国地頭の存在そのものを否定する見解もでている。

蔵人(くろうど)・蔵人頭(くろうどのとう)

平安初期に設置された令外官 (りようげのかん) の一つ
本来皇室の用具や文書を預かる役人。
810年薬子の変に際し蔵人頭が置かれ重要な官職となった。天皇に近侍し、機密文書の保管、詔勅・奏上の取り次ぎ、宮中の諸儀式などを行う。平安後期には、院・摂関家・大臣家にも置かれた。
蔵人頭:別当の次に位する蔵人所の官職。定員2名で、一人は弁官から、一人は近衛府の官人から
    採用され、頭弁
とうのべん
頭中将
とうのちゅうじょう
と称した。

検非違使(けびいし)

 平安初期に設置された令外の官の一つ。初め京都の犯罪・風俗の取り締まりなど警察業務を担当。のち訴訟・裁判をも扱い、強大な権力を持った。平安後期には諸国にも置かれたが、武士が勢力を持つようになって衰退した。

腰越状(こしごえじょう)

文治元年(1185)平家討滅後、源義経が兄頼朝の命に反したという理由で鎌倉に入ることを許されず、無実を訴えて腰越から大江広元あてに、頼朝へのとりなしを依頼して出したという書状。

御家人(ごけにん)

 平安時代、貴族や高位の武士に隷属していた者。家の子。郎党。
 中世、鎌倉幕府の将軍と直接主従関係を結んだ家臣。将軍に忠誠義務を尽くす代償として、
所領安堵や新恩の給与などの保護をうけた。また、鎌倉殿御家人、関東御家人などと呼ばれて、
非御家人とは厳重に差別されていた。
 江戸初期、大名以外の将軍直属の一万石以下の家臣の称。のちに、旗本と御家人に区別される
ようになる。直参(じきさん)
 江戸中期以降の将軍直臣のうち、御目見(おめみえ)以下の武士。旗本より身分が低く、直接将軍に
謁見する資格をもたない小祿の者。

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