源頼朝ゆかりの地を巡る ~小田原市、湯河原町、真鶴町~

史跡めぐり

静岡県小田原市、湯河原町、真鶴町にある源頼朝ゆかりの史跡をご紹介いたします。
下の地図の赤丸数字の場所をご紹介します。

地図の赤丸数字をクリックするとその場所のサムネイルを表示します。

①石橋山古戦場

与一塚

初戦に勝利した頼朝は300騎の兵で相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)まで進み、石橋山に陣を構えます。谷を隔てて対峙するのは大庭景親の軍勢3,000、さらに伊東祐親も頼朝の背後に布陣します。
この戦いで先陣を務めたのが岡崎義美の嫡男・佐奈田与一義忠
与一塚は与一が葬られた場所といわれます。

ねじり畑

佐奈田与一が討ち取られた場所と伝わります。
この畑の作物はねじれてしまうという言い伝えから「ねじり畑」と呼ばれます。
先陣をつとめた与一が敵を討ち取った後、刀についた血を払わずに鞘におさめたため血が固まり、鞘から刀が抜けず討ち取られといわれます。

佐奈田霊社
佐奈田与一を祀ります。与一は痰の持病をもっていたと言われ、咳、声、喉に霊験があるとされ、芸能関係者も多く参拝します。

文三堂
与一の郎党文三家康をを祀る堂。
与一は石橋山の戦いに際し、高齢であった文三に自分の母の面倒を見ることを頼もうとしますが、文三も参戦します。
文三は与一が討たれると、8人の敵を討ち取った後に稲毛重成の手勢に討たれたといわれます。

石橋山古戦場を動画でもご覧ください

〒250-0022 神奈川県小田原市石橋420(佐奈田霊社駐車場)
佐奈田霊社駐車場から徒歩で見学可

②しとどの窟(湯河原町)

石橋山の戦いに敗れた頼朝が、敗走中に身を隠した洞窟と言われます。
ここに身を隠していた頼朝は、敵の将兵梶原景時に見つかりますが、景時は見逃します。
その後、頼朝に属した景時は侍所別当を務め御家人の監視役として重用されていきます。

しとどの窟を動画でもご覧ください

〒259-0314 神奈川県足柄下郡湯河原町宮上(椿台駐車場利用)
レストハウスの前の通りを進み左上写真の下り口から下っていきます。途中標識等なり。

③しとどの窟(真鶴町)

しとどの窟は真鶴町にもあります。
こちらは現在の真鶴港と道を一本挟んであり、当時は海に面していたので岩海岸から出帆する直前まで隠れていたのでは・・・とも考えられいます。

〒259-0201 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴
駐車場なし(ちかくに食堂の駐車場有。食事がてら見学してはいかがでしょう)

④謡坂

源頼朝が箱根山中から脱出したことや、再起を祝い土肥実平が謡踊ったところといわれています。

〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩
駐車場なし

⑤頼朝船出の浜

頼朝は現在の岩海岸から安房(千葉県)を目指して、出帆します。
安房で上総広常千葉常胤らの支援を受けて再起し、源氏ゆかりの地鎌倉に入ることになります。

〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩
駐車場なし

しとどの窟(真鶴町)、謡坂、頼朝船出の浜を動画でもご覧ください

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