桶狭間古戦場公園と周辺史跡

史跡
桶狭間古戦場公園内の織田信長(左)と今川義元像(右)

①桶狭間古戦場公園 ②今川義元本陣跡(おけはざま山) ③瀬名氏俊陣跡
⑤今川義元首検証地 ⑥戦評の松

桶狭間古戦場公園

戦国時代の重要な転換点として知られる「桶狭間の戦い」。
現在、戦いが行われたといわれる一帯は「桶狭間古戦場公園」として整備されています。

◆義元公首洗いの泉
 織田軍が今川義元の首を取り、この泉で清めたと伝えられています。
 また、泉の中にくるくる回る桶があり、「桶廻る狭間」が「桶廻間」、そして「桶狭間」と変化
 して定着したと言われています。

◆馬つなぎの社松
 ここにある枯れたねずの木は、着陣した今川義元が田楽坪の泉で水を飲むために馬をつないだ木
 と言い伝えられ、田の中にねず塚として残されてきました。
 この木に触れると熱病にかかるとの言い伝えもあります

◆駿公墓碣
 もともと、ねず塚から出土したものです。建立年は不明。
 駿という字は「すぐれた」「秀でた」といった意味で、駿公とは「駿河の国のすぐれたりっぱな
 人」という意味合いになります。また「墓碣」とは上が丸くなった墓石を指す言葉です。

写真左:「今川義元戦死之地」の碑  写真中央「今川義元公」の墓石?  写真右:「駿公墓碣」の碑

◆信長公首塚の大柊
 西山本門寺(富士宮市)の「信長公首塚」にある大柊からの分枝。
 首塚は「本能寺の変」で亡くなった信長の首を持ち出した家臣が埋葬したと伝わります。

◆桶狭間の戦い関連地のジオラマ

桶狭間古戦場公園へのアクセス

住所:愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間北3丁目
最寄駅:名鉄名古屋本線 有松駅
    徒歩:20分
    バス:名古屋市バス「幕山」にて下車、徒歩2分
クルマ:駐車場はありません。
    ※桶狭間古戦場観光案内所(名古屋市緑区桶狭間巻山2037)の駐車場利用可
(2022年12月訪問)

今川義元本陣跡(おけはざま山)

桶狭間古戦場公園から約100メートル、少し坂を上った住宅街の真ん中に「おけはざま山」と書かれた石碑が立っています。
ここで休息を取っていた今川軍に対して織田軍が急襲をかけたと言われます。突然現れた織田軍に慌てた今川勢は一気に大混乱となり、今川義元は討ち取られたといわれます。

おけはざま山から古戦場公園方面を望む

◆アクセス
 住所:〒458-0913 愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目504
 桶狭間古戦場公園から徒歩3分

瀬名氏俊陣跡

瀬名氏は幼少の今川義元の父・氏親を補佐し、駿河今川氏の家臣として仕えていました。
桶狭間の戦いで、氏俊は今川本隊の先発隊として偵察、桶狭間にて本隊の陣所の設営などを行い、先に大高城へ向かっていたため、直接は戦ってはいません。

◆アクセス
 住所:〒458-0925 愛知県名古屋市緑区桶狭間332
 桶狭間古戦場公園から徒歩3分
 今川義元本陣跡(おけはざま山)から徒歩5分

今川義元首検証地

古戦場公園付近にある長福寺は、桶狭間の戦いの後、信長が境内で義元やその武将の首検証をしたと言われた場所があるお寺です。
織田方に捕らえられた今川軍の林阿弥が首実検に立会い、主君らの首かどうかを確認したといわれます。

◆アクセス
 住所:〒458-0925 愛知県名古屋市緑区桶狭間427(長福寺)※駐車場有
 桶狭間古戦場公園から徒歩8分
 瀬名氏俊陣跡から徒歩5分

戦評の松

義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊は、この大松の下で軍議を開いたといわれ、戦評の松と言います。初代の松は、樹齢400年を超え、直径1m以上あるすばらしい松でしたが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で枯れてしまい、今の松は3代目にあたります。

◆アクセス
 住所:〒458-0925 愛知県名古屋市緑区有松町大字桶狭間巻山9
 桶狭間古戦場公園から徒歩5分
 今川義元首検証地から徒歩5分

史跡巡りコース

ご紹介した史跡は徒歩で巡ることが可能です。
小生が巡ったコースは以下になります。

桶狭間古戦場公園 ー徒歩3分→ 今川義元本陣跡(おけはざま山) ー徒歩5分→ 瀬名氏俊陣跡
ー徒歩5分→ 今川義元首検証地(長福寺) ー徒歩5分→ 戦評の松

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